きょうの39章も、幕屋の造り方について、主が命じられたことを復唱し、間違いのないように配慮されています。
大祭司アロンとその子たちの祭司たちの装束について記載されています。2節~7節は、出エジプト記28章6節~14節にすでに記載されている通りです。エポデとエポデにつける肩当のデザインの事です。エポデの肩当には、左右の宝石にイスラエル12部族の名前が、記されていました。これはやがて来たるべき、メシヤであり、大祭司である、神の御子イエスによって、イスラエルの民はみな、その両肩に支えられていることを予表するものでした。
8節~21節は、出エジプト記28章15節~30節に、すでに記載されている通りです。胸当てのデザインに関するものです。胸当ては、大祭司の胸からずり落ちることがないように、純金の鎖で、しっかりと固定されていました。そこには、金の枠の中に、イスラエルの12部族の名前が刻まれた12個の宝石がはめ込まれていました。これは、イスラエルの12部族が、つねに、大祭司であるイエスの胸にあること、つまり、大祭司イエスの愛の中にあり、決して、外れないことを示していました。
22節~26節は、出エジプト記28章31節~35節に、すでに記載されていることの確認です。エポデの下に着る青服のデザインです。青服のすそに取り付けられた純金の鈴は、1年に一度、大贖罪日に大祭司が至聖所の中に入った時、それは大祭司ただひとりだけが許された奉仕でした。しかも、仕切りの幕があり、その中は真っ暗なはずです。でも、契約の箱の贖いのふたの中央、つまり、ケルビムが向かい合っている真ん中に、主の栄光(シェキナ)があったと言われています。もしも、大祭司がふさわしくなければ、主の栄光の前に、打たれて死んでしまいます。それで、大祭司は、足に綱を結んで至聖所に入って行きました。仕切りの幕の手間にいた祭司たちが、大祭司のすその鈴の音が鳴っている間は、安心でした。しかし、鈴の音が一切、聞こえなくなったときは、大祭司の死を意味しました。しかし、祭司たちは至聖所に入ることが出来ないので、大祭司の足に結んでおいた綱をもって、大祭司の死体を運び出したのです。それほど、大祭司の務めは、いのちがけのものでした。聖なる主のまえに、奉仕する者は、全き聖なるものでなければならなかったのです。
27節~29節は、出エジプト記28章39節~43節に、すでに記載されているものです。ここには祭司たちの式服のデザインが記されています。
30節~31節は、出エジプト記28章36節~38節に記されています。大祭司の額に飾る純金製の聖別の記章の札に関するデザインが記されています。
32節~43節では、モーセが主から命じられた通りに、イスラエルたちが奉仕したことを確認しています。その確認後に、モーセは彼らを祝福しました。
38章、39章と2章にわたって、幕屋の設計や大祭司や祭司たちの装束について確認を行っていますが、決して間違ってはならないからです。モーセは、幕屋に関するすべての用具を、山で示された型どおりに、造らねばならなかったのです(出エジプト記25章40節)。
きょう、主のご計画を感謝します。とくに、大祭司の両肩に負われた宝石に名前が刻まれていること、また、大祭司の胸の金の枠にはめ込まれた宝石に名前が刻まれていること、これらのことは、神様の私たちに対する愛のご配慮です。「わたしの目には、あなたは高価で尊い、わたしは、あなたを愛している」と宣言されている通りです。主に感謝します。
清宣教師