民数記の3章です。1節~4節には、アロンの系図、アロンとその子らの名前が記されています。
5節~13節には、レビ人の働きが記されています。レビ人たちは、祭司であるアロンの子たちを補佐するように命じられています。
14節~39節には、先に12部族の人口調査の時、調査の対象から除かれていたレビの諸氏族の人口調査とその調査結果が記されています。
40節~51節には、イスラエルの長子の数とレビ人の数の比較が行われています。かつて、エジプトにおいて、過ぎ越しの裁きがなされた時、イスラエルの長子たちは、主のものとして贖われました。つまり、子羊の血潮によって、そのいのちが贖われました。そこで、ここでは、12部族のすべての長子の代わりに、レビ人が贖いの代価として、主に捧げられることになりました。12部族のすべての長子たちの数は、22,273人でした。一方、レビ人の数は、22,000人でした。それで、イスラエルの12部族の長子たちの数の方が、レビ人の数を上回ったので、その不足分を、お金で贖うことになりました。ひとりあたり、5シェケルですから、273人分の総額は1,365シェケルとなります。12部族の人たちは、この不足分を、彼らの長子たちの贖い金として、アロンとその子らに渡しました。レビ人は、イスラエルの民たちの中から、彼らに代わって、主に仕える者として、主のものとして捧げられたのです。
すでに述べましたが、主の幕屋を中心に、祭司やレビ人の諸氏族が周りを取り囲み、その外側を、イスラエルの12部族が取り囲むようにして宿営しました。ところで、レビ人たちは、諸氏族ごとに、幕屋での任務が異なっていました。それは、主が定められたことでした。ゲルション族の任務は、幕屋すなわち天幕と、そのおおい、会見の天幕の入口の垂れ幕、庭の掛け幕、それに幕屋と祭壇の回りを取り巻く庭の入口の垂れ幕、そのすべてに用いるひもに関することでした(3章25節、26節)。ケハテ族の任務は、契約の箱、机、燭台、祭壇、およびこれらに用いる聖なる用具と垂れ幕と、それに関するすべての奉仕でした(3章31節)。メラリ族の任務は、幕屋の板、その横木、その柱と台座、そのすべての用具およびそれに用いるすべてのもの、庭の回りの柱とその台座、その釘とそのひもに関することでした(3章36節、37節)。主はその奉仕に優劣をつけられませんでした。しかし、人は勝手に、奉仕に優劣をつけて、誇ったり、不満を言ったりするものです。それはサタンの誘惑です。サタンはすべてに優劣をつけて、妬みや劣等感や分裂を引き起こそうとしています。私たちは、私たちを取り巻く、優劣をつける価値観の中で、神の価値観に、しっかりと立つ必要があります。
私たちは、それぞれの時代に、それぞれの国に、それぞれの家族の一員として生れてきました。それは、自分の意志で決めたことではありません。みな創造主であり、贖い主である神が定められました。私たちにはそれを選ぶことが出来ませんでした。その点については、すべて、無限の叡智を持っておられる創造主ご自身の責任においてなされたことです。つまり、私たちは、出発点を選ぶことはできません。ただ、与えられた出発点を受け入れて歩む以外にありません。大きなハンディを与えられている人もおられます。しかし、どのような出発点であっても、無限の叡智をもつお方が定められたのです。創造主がお考えになられた計画に間違いはありません。だれでも、どんな状況にあっても、創造主なる神の御手の中で、出発したことは確かです。
そして、イエス・キリストが「道」となられました。それは父なる神に導く唯一の[道]です。その道は、キリストの尊い犠牲によって開かれた道です。だれでも、その道を通るなら、父なる神のみもとへ行くことが出来ます。天の御国に入る道です。そこにおいて、神様からの正しい報いがなされます。大きなハンディを負って、出発した人には、それに応じた報いです。この地上での人生がすべてではありません。この世の終わりにはすべての人が正当な裁きを受けます。
創造主に背を向けて生きている人間は、ありとあらゆることを比較して、優劣をつけます。そして、自分にあるものを誇ります。しかし、私たちは、創造主の作品であり、優劣はありません。キリストのいのちの代価を持って買い取られた者たちです。そこに優劣を持ち込むことは出来ません。バラの花は、スミレの花にまさるということはありません。それは人間が勝手に考え出したものです。創造主の作品に優劣はありません。どの花見ても綺麗だな、という感覚が大事です。
私たちは、昔の生き方、優劣をつける生き方を捨てること、すなわち、過去の肉の価値観を忘れましょう。天の御国、そこにある神の栄冠を目指して、すべての人は神の作品であり、キリストのいのちの代価を持って贖われた人たちであるという、新しい価値観の中で、ひたむきに走るのです。
きょうも、天国の1日です。感謝します。
清宣教師