民数記4章は、レビ人の職務とその数について記しています。
まず、レビ人の中のケハテ族の任務ですが、1節~20節に記されています。最初に、祭司であるアロンとその子らが、至聖所と聖所に入り、その中のすべての器具類に布をかけて覆います。例えば契約の箱(あかしの箱)の場合は、仕切りの幕で覆い、さらに、じゅごんの皮、さらに、その上に真っ青の布で覆いました。これは、ケハテ族の人たちが、決して、直接、至聖所や聖所内の器具類に触れることがないようにとの処置でした。もし、ケハテ族の人たちが、聖なる物に触れるなら、死んでしまうからです(15節)。このように、まず、祭司たちが至聖所や聖所内の器具類(契約の箱、供えのパンの机、燭台、祭壇、垂れ幕など)を布で覆ったあと、それらの布で覆われた聖なる器具を運び出すのがケハテ族の人たちの任務でした。その際、これらの器具は、すべて、肩にかついで運ばなければなりませんでした。祭司エレアアザルが、全体の監督としての責任を持つとともに、ケハテ族が運搬する聖なる器具の責任者として立てられていました。
次に、レビ人のゲルション族の任務内容が記されています。21節~28節です。彼らは、主に至聖所外の幕とそれに付随する器具の運搬でした。天幕、覆い、入り口や庭の幕、ひもなどを運ぶ役目です。
次にレビ人のメラリ族の任務内容が記されています。29節~33節です。彼らは、幕屋や庭の板、横木、柱、台座、釘などを管理し、運搬する役目でした。これらのメラリ族の奉仕は、祭司イタマルの監督のもとにありました。
次に、34節~49節は、それぞれの役割を担うことが出来る、ケハテ族、ゲルション族、メラリ族の中の壮年男子(30歳~50歳)の奉仕者数の調査結果です。それぞれ、2,750人、2,630人、3,200人、合計8,580人でした。8,580人という、主が幕屋の奉仕のために備えられた壮年男子の数は、非常に多いように思われます。おそらく、特別な祭り以外の時には、交代で奉仕していたと思われます。
ここで、少し、「民数記」とい書物の名称について触れますが、この名称は、ギリシャ語訳(70人訳聖書)やラテン語訳聖書で用いられている名称です。一方、ヘブル語聖書では、モーセ五書のすべての表題がそうですが、それぞれの巻の初めのことばをもって、その書の名称としています。例えば、創世記の出だしは、「ベレシート」で始まります。それでヘブル語の創世記の名称は、「ベレシート(はじめに)」と名づけられています。この民数記の場合は、もともとは、「そして主は仰せられた」という冒頭のことばで呼ばれていました。しかし、現代ヘブル語訳では、1章1節の4番目のことばである、「ペミドゥバル(荒野にて)」をもって、書名としています。「荒野にて」という名称は、確かに、民数記の署名としてふさわしいと言えます。この書は荒野を舞台としています。荒野こそ、創造主がイスラエルの民を訓練し、健全に成長させるために選ばれた場所でした。
これをクリスチャンの人生に例えると、この世こそ、私たちの試練と共に、聖化の場所として選ばれた場所であることを意味しています。やがて、ヨルダン川を渡り、約束の地に入るのです。それは、この世での使命を終えて、天の約束の御国に入ることを指しています。
繰り返しますが、荒野こそ、神様が私たちを訓練し成長させる場所として、選ばれた場所です。確かに荒野は荒涼として、砂漠のようであり、厳しいところです。しかし、主が共におられたので、イスラエルの民たちは、そこを進むことが出来ました。私たちも、主の民として、御国の民の一員であるという自覚をもって、そこを進むことが出来ます。主は言われます。「恐れるな。あなたが行く所どこにでも、わたしはあなたと共にいる」。主よ、あなたが共におられることを信じます。感謝します。

清宣教師