今日の個所は、アロンの祭司職は、主の召命によることを明らかにしています。
主は、モーセに命じられました。アロンと12部族の族長たちは、それぞれ、自分の杖をとり、その杖に自分の名を書き記すように命じられました。そのあと、その13本の杖を、会見の天幕の中の契約の箱の前に置くようにと命じられました。それで、主の命令の通りに実行しました。主は、「わたしが選ぶ人の杖は芽を出す」と宣言されました。翌朝、モーセが会見の天幕の中に入ってみると、13本の杖のうち、12人の族長たちの杖は芽をださず、アロンの杖だけが芽を出し、花を付け、アーモンドの実をつけていました。この奇蹟を通して、主がアロンを選んでおられることを明らかにされました。とても、感動的な証しですね。
わたし自身の個人的な感想も加えますと、アロンには若い人たちにまさる感動があったと思います。アロンは、すでに年齢を重ねて、80数歳となっていました。昔は長寿だったとは言え、それはノアの大洪水の前の時代のことでした。モーセの時代には、詩篇90篇のモーセの歌にあるように、「私たちの齢は70年、健やかであっても80年」(詩篇90篇10節参照)と記されています。また、会見の天幕の任務につくことの出来る者たちは、30才以上、50歳までのものたちでした(民数記4章3節、23節、30節参照)。ですから、アロンはすでに、一般の人たちと比較すれば、すでに、働き盛りを過ぎていました。あるいは、そのような意味でも、アロンの祭司職に対する疑問やつぶやきがあったのかも知れません。
それは、ちょうど、親の木から切り取られて作られた杖、すでに、いのちが枯れてしまった杖のようでした。ところが、外見上、まったく、いのちのない、枯れたアロンの杖が、つぼみをもち、花を咲かせ、アーモンドの実を付けたのです。他の12人の族長たちの12本の杖は、まったく、枯れたままでした。つまり、主によって選ばれた者は、年齢によらず、神の霊によって花を咲かせ、実を結ぶのです。アロンの心は一変して、若返ったに違いありません。枯れた杖に、いのちを与えられるのは創造主なる神様のみわざです。
私たちクリスチャンも、肉の系図のいのちから切り離されて、枯れるのです。そして、新しいキリストにある復活のいのちの系図に加わる者として、クリスチャンとしての召命を受けたのです。私たちも、枯れた杖でした。しかし、主の臨在の前で、聖霊の息吹を受けて、花を咲かせ、豊かな実を結ぶものと変えられたのです。
きょう、私たちは、主の御手の中に握られた杖です。主よ。私はあなたの御手の中にある杖です。どうぞ、みこころのままに、お用い下さい。
清宣教師