きょうの個所のテーマは「ナジル人」です。ヘブル語の「ナーザル」とは、「分離する」という意味です。「ナジル」とはその受動態なので、「分離された人」、なにかの目的をもって、自分の身を、神のものとして、聖別して特別な誓いをもってナジル人となることを意味していました。ナジル人には2種類あり、ひとつは期限付きのナジル人、もう一つは、生涯のナジル人でした。この6章では、期限付きのナジル人について記されています。
ナジル人は聖別の誓願を立てた期間は、いくつかの事柄を守らなければなりませんでした。
第1に、ぶどう酒や強い酒を断つこと、また、それらの酢も飲んではならないこと、また、ぶどうの生の実でも、干したものでも、ぶどう酒も飲んではならないこと(3節~4節)。
第2に、頭に剃刀(かみそり)をあててはならないこと。髪の毛は伸ばし放題にすること(5節)。彼の伸び放題の頭は、「聖別された頭(ローシェ・ニゼロー)」と呼ばれました。
第3に、死体に近づいてはならないこと、たとい肉親の死であっても、死体に近づいてはならないこと(6節~8節)。もし、突然、彼のそばで死んだ場合は、その身を清め、罪のためのいけにえと全焼のいけにえを捧げて、それから期間を改めて主の前に聖別すること、つまり、以前の分は汚れたものなので、無効となる(9節~12節)。
さて、ナジル人としての聖別の期間が満ちた時になすべきことが13節~21節に記されています。
まず、第1に、罪のためのいけにえとして、一歳の雌の子羊一頭、第2に、全焼のいけにえとして、一歳の雄の子羊一頭、第3に、和解のいけにえとして、雄羊一頭、第4に、穀物の捧げ物、注ぎの捧げ物として、種を入れないパン1かご、油を混ぜた小麦粉の輪型のパン、油を塗った種を入れないせんべいを捧げました。そののち、会見の天幕の入り口で、聖別した頭の髪の毛を剃りました。その髪の毛は、和解のいけにえの下にある火にくべられました。和解のいけにえを奉献したあと、ナジル人はその誓約から解かれました。つまり、ブドウ酒を飲むことも出来ました。
なお、旧約聖書に登場するナジル人としては、サムソン、サムエルなどの名前が挙げられます。しかし、サムソンの生涯は、決して、ナジル人にふさわしいものではありませんでした。新約聖書では、バプテスマのヨハネがナジル人としての生き方をしたと言われています。使徒パウロも、使徒の働き18章18節の記述から、ナジル人としての誓願をしていたと推測されています。そこには、「髪を剃った」と記されているからです。誓願の満期を迎えたということを意味しています。日本人は、どちらかというと、誓いを立てる場合には髪を剃って、坊主頭になったりする例が多いですが、聖書では、髪を刈らないのが、誓願のしるしでした。
さて、最後の祭司による祝祷ですが、3行のことばから成り立っています。
1.主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
2.主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
3.主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。
3行からなっていますが、3は完全数といわれています。また、1行目は、ヘブル語では2+1語=3語、2行目は3+2=5語、3行目は4+3=7語となっています。この合計は3+5+7=15語となります。この15語から、合計3回用いられる「主」という語を差し引くと12語となります。
つまり、イスラエルの12部族の数となります。契約の主とイスラエルの12部族の交わりを表象するものと理解されています。
文字数では、1行目は15文字、2行目は20文字、3行目は30文字となっています。
日本では末広がりと言いますが、字数が増し加わるという祝福のかたちをとっています。
この祭司の祝祷は、現代の教会でも、礼拝宣教の終わりに、祝祷として用いる教会が少なくありません。
守り、繁栄、平安を約束する祝祷です。
きょう、私たちは、御国の民のひとりとして、父なる神様の祝福、御子キリストの祝福、御霊の祝福を頂くことが出来ます。主よ、私たちもまた、荒野を旅するあなたの民です。どうぞ、御顔を私たちに向けて、平安をもって祝福して下さい。
清宣教師