まず、1節~9節です。イスラエルの行軍の正確な進路については不明ですが、アラデの王は、イスラエルがアタリムの道を進んでいると聞いて、イスラエルと戦い、何人かを捕虜にしました。そこで、イスラエルは主に誓願を立てて、カナン人を攻撃して、カナンの町々を攻略して聖絶しました。しかし、不思議なことに、イスラエルは、エドムの地を迂回して葦の海の道に旅立ったと記されています(4節)。つまり、カナンのアラデの王に勝利したにもかかわらず、エドムの王の通行拒否のために、南へと進路を変えざるを得なかったようです。どうやら、そのことに対して、民は不満を持ったようです。約束の地をまじかにして、しかも、敵に勝利したにもかかわらず、荒野へ後退する神の方針に不満を持ったようです。民は神とモーセに逆らって言いました。今回は、エジプトへ帰ろうとは言っておりません。むしろ、何故、約束の地へ入れようとせず、荒野で死なせようとするのか、という不満でした。しかも、マナのことまで不満を口にしました。こうして、神からの裁きは避けがたい状況となり、イスラエルの民は、燃えるヘビ(おそらく毒蛇のこと)に噛まれて 苦しみ、死ぬ者たちもいました。そこで、民はモーセの所に来て、「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。・・・」と告白して、モーセに対して、執り成しをお願いしました。モーセはそこで、民のために、罪の赦しを求めて祈りました。主は、その解決の方法を示されました。それは、「燃える蛇」を青銅で造り、それを竿の先につけて、人々の前に高く掲げて、それを仰ぎ見るなら癒されるという方法でした。神の約束を信じて、その竿の先に高く上げられた青銅の蛇を仰ぎ見たものは癒されました。じつは、この出来事は、イエス様の十字架を予表するものでした。ヨハネの福音書3章14節、15節に次のように記されています。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」。罪のゆえに死に定められている私たちが、唯一、死から救われる方法は、十字架の上の神の御子キリストを仰ぎ見ることを通してだけである、ということを示すものでした。
次に、10節~35節です。イスラエルの民は、旅立ち、オポテで宿営し、さらに進んで、イエ・ハアバリムに宿営しました。さらに、北上してアルノン川を渡り、そこで宿営しました。このアルノン川は、モアブとエモリ人との間の国境でした。さらに、マタナ、ナハリエル、バモテへと進み、ピスガの頂に到着しました。ピスガの頂からは、約束の地を眺望することが出来ます。そこに進むためには、エモリ人の領地を通らなければならず、エモリ人の王シホンに使者を送って、通行許可を得ようとしました。しかし、シホンはそれを許さず、民を集めて、ヤハツで、イスラエルを攻撃してきました。しかし、イスラエルはこれを打ち破り、アルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで占領しました。しかし、アモン人の国境を超えることはせず、イスラエルはエモリ人の王オグと対決することになりました。バシャンの王オグはイスラエルの民を迎え撃つために、エデレイに出てきました。そこで、イスラエルの民は、バシャンの王オグをはじめ、民たちをも打ち負かしました。この辺の事情については、申命記の2章に詳しく記されています。「今、立ってゼレデ川を渡れ。そこで私たちはゼレデ川を渡った。カデシュ・バルネアを出てからゼレデ川を渡るまでの期間は三十八年であった。それまでに、その世代の戦士たちはみな、宿営のうちから絶えてしまった。主が彼らについて誓われたとおりであった。まことに主の御手が彼らに下り、彼らをかき乱し、宿営のうちから絶やされた。戦士たちがみな、民のうちから絶えたとき、主は私に告げて仰せられた。『あなたは、きょう、モアブの領土、アルを通ろうとしている。』それで、アモン人に近づくが、彼らに敵対してはならない。彼らに争いをしかけてはならない。あなたには、アモン人の地を所有地としては与えない。ロトの子孫に、それを所有地として与えているからである。」こうして、いよいよ、イスラエルの民は、約束の地の手前まで、進むことが出来ました。
きょうの記事の中に、イエス様の十字架の予表となる「青銅の蛇」の出来事が記されていることも、不思議です。もしも、ヨハネの福音書で、この意味について解き明かしがなされていなかったら、私たちは気付かなかったかも知れません。聖書は旧約聖書も新約聖書もひとつです。決してバラバラではありません。旧約聖書の長い歴史の中で、救いの計画に関して、預言を通して、また、予表を通して、語られているのです。
主よ。私たちに悟りを与えて下さい。主の救いの計画の確かさを、旧約聖書の中に、また、新約聖書の中に見出すことが出来ますように。聖霊様の知恵によって導いて下さい。
清宣教師