きょうの30章1節は、「人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。」ということばで始まり、最後の16節は、「以上は主がモーセに命じられたおきてであって、夫とその妻、父と父の家にいるまだ婚約していないその娘との間に関するものである。」と述べています。
つまり、この章は、女性の誓願に関する定めであり、その誓願がどのようにして有効となるか、あるいは無効となるかについて記しています。
まず、婚約していない適齢期の女性では、その女性の誓願は、父の許可を得て初めて有効となる事、また、父が娘の誓願を知っていながら、その日のうちに禁じなければ、それは主の前に有効な誓願となる。ただし、それを聞いた日に、父親がそれを禁じれば、その誓願は無効となり、その誓願を娘が破っても主の前に罪とはならず、赦される(3節~5節)。
次に、彼女の誓願が有効なうちに、結婚した場合、その夫がそれを聞いた日に何も言わなければ、彼女の誓願は有効となる。夫がそれを聞いた日に禁じるなら、彼女の誓願は無効となる(6節~8節)
次に、やもめや離婚された女性の誓願はすべて有効とされる。つまり、その誓願を無効とすることが出来る者はいないことになる(9節)。
次に、結婚している女性が誓う場合、それを聞いた日に、夫が禁じるならそれは無効となる。しかし、それを聞いた日に夫が何も言わなければ、妻の誓願は有効となる。また、何日も経てから、夫が妻の誓願を禁じた場合は、夫がその誓願を実行しなければならず、それを果たさない場合は、夫の罪となる(10節~15節)。
今日の個所は、現在の私たちには無関係のように見えますが、案外、身近で大事なことが含まれているように思えます。私のまわりで、神学校へ入る決心をした兄弟姉妹たちを知っています。その中で、夫婦の間で、その誓いを共有しない場合は、のちのち、大きな問題となってしまうことを知っています。やはり、どんなに良い決心、主に献身する誓いであっても、夫婦の間では、お互いにそれを共有することが、とても大事です。世の中の職業を辞めて、献身するというような大きな決断でなくても、例えば、教会の奉仕を引き受けるというような場合でも、夫婦の間でそのことを共有していないと、多くの問題が起こります。教会での時間の過ごし方、その間の子どもたちの面倒を誰が見るのか、自分一人で解決できる問題ではありません。主の前に、夫婦の間で、その誓願を共有する必要があります。結婚していない未成年の場合も、自分勝手に奉仕を引き受けると、いつも夜遅くまで教会にいるとか、勉強がおろそかになるとか、親の手伝いをしないとか、非難をうけてしまうことがあります。6節にあるように、献身や決心をするときには、無思慮に言ったことが、結局、自分の身に降りかかってくることになります。自発的な献身や決心は、主の前に価値のあるものです。それだけに、良く祈り、良く相談し、決断する必要があります。同様に、結婚の誓約も軽々しく破られて良いものではありません。良く祈り、良く相談し、決断する必要が在ります。
きょう、何かを決断しなければならない時、一歩、退いて、祈りましょう。信頼できる人に相談しましょう。
清宣教師