1節~5節:主から遣わされたものではない、預言者や夢見る者たちが、たとい何かのしるしや不思議なわざを示しても、そのしるしや不思議なわざによって、その預言者や夢見る者たちを信じてはいけない、彼らが他の神々に、あなたがたの心を向けさせようとするなら、それは偽りの預言者であり、偽りの夢見る者たちであるから、必ず、殺さなければならない、と命じられました。神の民に敵対する勢力があります。それはサタンの悪霊の勢力です。彼らは、不思議としるしをもって、神の民たちを惑わそうとするのです。しるしや不思議は、それだけでは神のものであることを証明しないのです。イエス様も、偽預言者たちを区別する方法として、次のように言われました。「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイによる福音書、7章15節~23節)。つまり、偽預言者を見分けるには、不思議なわざとか、癒しの奇蹟を判別の材料とするのではなく、その人の品性、その人が御霊の実を結んでいるかどうかを判断の基準とするように、警告されました。つまり、占いとか、手相が良く当たるとか、祈祷師に祈ってもらうと癒されるとか、それで判断するなら、人々は容易に惑わされてしまいます。クリスチャンは、彼らの癒しや奇蹟によって判断するのではなく、その人が、神の人として、真に良い実(品性)を結んでいるかどうかによって判断しなさいと忠告しているのです。
6節~11節:もし、他の神々へと誘うものがあり、それが親しい家族や親族であっても、決して惑わされてはいけないという警告です。彼らを石打ちにするように命じています。
12節~18節:ある町の住民たちが、他の神々に仕えようと惑わすなら、それが事実かどうかを徹底的に調べて、それが事実であれば、その町を聖絶するように命じています。
きょうの個所は、神の民が、神のみことばに立ち、全世界に証ししようとするとき、神に敵対する勢力の惑わしや誘惑がくることは避けられないということです。しかも、それは住民を洪水の被害から守る堤防が、初めは、小さな穴から始まり、大きな穴へと成長し、決壊することがあるように、約束の地を相続した民たちの中に、偶像礼拝が侵入することがないように、良く注意し、警戒を怠らないようにとの勧めです。私たちも、神様の導きと恵みによってバプテスマを受けてクリスチャンとなっても、誘惑は避けられないです。マルチン・ルターは、鳥が頭上を飛ぶのを避けることは出来ないが、頭上に巣をつくるのは避けることができる、と言いました。つまり、私たちの思いの中に、さまざまな肉の誘惑が来ることを避けることは出来ません。しかし、それが心の中に根をおろし、罪を犯させてしまうことを阻止することはできる、というのです。
きょう、私たちを誘惑からお守りください。聖霊様、私たちのうちに、良い実を結ばせてください。さまざまな肉の欲望に打ち勝たせてください。主が正しいと見られることを行わせてください。アーメン。
清宣教師