きょうの19章は、全体として、公正をテーマとして、3つの問題を取り上げていると思われます。
1節~13節:過って人を殺した場合、その人が殺された人の身内によって復讐され、殺されることがないように配慮されています。つまり、イスラエルの民たちが約束の地であるカナンの地を占領した時には、過って殺人を犯した人たちのために、3つの「逃れの町」を設けるように命じられました(3節)。その場合、それぞれ町から距離を測って、何処の地域からも近い距離に逃れの町を設けるように命じられました。さらに、占領地が拡大した時には、それに加えて、さらに3つの逃れの町を設けるように命じられました(9節)。つまり、過って殺人を犯した者が、復讐者によって殺されることがないように、逃れの町は近くにあることが条件でした。過って人を殺すとは、例えば、ある人が森に行って木を切っていたとき、たまたま斧の頭が柄から抜け出て、隣の人にあたって死なせた場合のことが挙げられています(5節)。しかし一方、殺意をもって殺した場合は、たといその者が逃れの町に潜んでいたとしても、そこから連れ出して正規の裁判にかけるように命じています(11節、12節)。
14節:地境は、先祖代々の財産であり、決して、地境を移してはならないと命じています。土地の売買で、土地を失い、貧しくなるものがあってはならないのです。主のみこころは、すべての人が、先祖代々の土地で豊かに暮らすことだからです。ここにも公平に扱うようにとの配慮がなされています。
15節~21節:すべての裁判において、とくに、殺人の裁判の場合でも、ひとりの証言によって有罪を立証することは出来ないこと、必ず、複数の証言、つまり、二人または三人の証言が必要であると述べています(15節)。訴えられている者のためにも、公正を欠くことがないように配慮しています。また、偽証の可能性も考えて、「良く調べたうえで」判断することを求めています(18節)。また、その量刑は、「いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足」という等価の法によるもので、過大な量刑を課すことを戒めています。
18章では、偶像礼拝に対する厳しい宣告がなされていますが、その延長線上に、きょうの19章が記されていると考えられます。つまり、神の民としての国家では、徹底した社会正義が要求されるのです。正義の神を礼拝する者たちは、正義の民としての生き方を要求されているのです。
私たちも、偏見に偏ることなく、マスコミなどの情報を鵜呑みにすることなく、正しい判断が求められています。私たちは真理の民なのですから。聖霊様に満たされて、つねに、公正な判断をくだすように整えられる必要が在ります。主よ。私たちを偏見から解放して、主がご覧になるように見ることが出来ますように、目の曇りを拭い去って下さい。
清宣教師