1節~11節:バシャンの征服。
聖書の巻末の地図「出エジプトの経路」をみるとわかりますが、イスラエルの民は、北上して、ヘシュボンを占領しましたが(2章24節~36節)、今日の個所では、さらに北にあるバシャンの国の王オグがイスラエルに敵対して攻撃を仕掛けてきました。それで、イスラエルの民は、バシャンの王オグの軍隊と戦いました。そして、主の助けにより勝利を収めました。
12節~22節:ヨルダン川の東の地域の配分。
ついに、イスラエルの民は、ヨルダン川の東側の地域のヘシュボン、ギルアデ、バシャンの王国を占領しました。そこで、聖書の巻末の地図「12部族に分割されたカナン」をみると分りますが、南(地図の下)の方から、北(地図の上)の方へ、イスラエルのルベン族、ガド族、そして、マナセの半部族に配分されました。本来は、ヨルダン川の西の地域が約束の土地でしたが、民数記32章1節~42節に記されているように、ガド族、ルベン族、マナセの半部族とモーセとの間で、すでに、話し合いがなされていた事情によるものです。
23節~29節:モーセの懇願。
ところで、ヨルダン川の東側の地域がイスラエルの領土となり、戦いも一段落したとき、つまり、いよいよ、本来の約束の地である、ヨルダン川の西側のカナンの地に入る時が、目前に迫ってきた時のことです。モーセは、自分自身も、イスラエルの民と共にカナンの地に入りたいということで、主に懇願しました。しかし、主は、その願いについては、「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない」(26節)とモーセを戒めました(民数記20章2節~12節参照のこと)。そして、ピスガの山頂からカナンの地を見ること、そして、モーセの後継者であるヌンの子ヨシュアを力づけるように命じられました。モーセは、主に嘆願しましたが、それは受け入れられず、後継者のヨシュアに委ねなければなりませんでした。ただし、ピスガの山頂から見た光景(ビジョン)をヨシュアに託して、この地上の生涯を終えることが出来るように、主は取り計らって下さいました。
私たちも、必ずしも、自分の世代で主の御計画が完了するのを見ることが出来るわけではありません。次世代に託さなければならないこともあります。神様の大きな計画の中で、小さな私たち一人一人が用いられるのですから、結果は主にお委ねして、いま自分に与えられている働きを、正直に、誠実になす以外にないと思われます。主は栄光を現してくださいます。
今日の個所では、モーセという偉大な信仰者が主に懇願している姿が記されています。しかし、主のこたえは、「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない」というものでした。主には主のお考えがあり、それは災いではなく、幸いを与える計画です。モーセはエリヤのように天の御国に、凱旋することになっていたのです(申命記34章5節~6節、マタイの福音書17章1節~4節参照)。新約聖書でも、パウロという偉大な信仰者が主に嘆願しましたが、聞き入れられなかったことが記されています(コリント人への手紙、第2、12章7せつ~9節参照)。そのとき、主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」とパウロに言われたのです。私たちが嘆願しても、主のお答えがない場合もあるのです。しかし、それには理由があるのです。主のお考えがあるのです。主は真実なお方です。その主にお委ねしたいと思います。
清宣教師