1節~9節:犯人が不明の殺人事件が起きた場合の対処法について記されています。約束の地で起こった殺人事件、つまり、罪のないものの地を流した罪は、必ず、正しい方法で贖われなければなりません。それにあたるのは、最も近い町の長老であり、レビ族の祭司の助けを得て、神の前で罪を除き去るのです。
10節~14節:捕虜になった女性と結婚する場合の対処法について記されています。捕虜だからと言って奴隷のように扱うのではなく、創造主が定められた結婚を尊び、それ相応の準備をしてから、結婚するように命じられています。
15節~17節:たとい二人の妻がいて、一方を愛し、他方を嫌っているとしても、長子の権利は、初めに生れた者に与えられなければならないという定めです。長子の権利だけでなく、他のことがらについても、好き嫌いで差別してはいけないのです。結婚は主の御手によって定められたことなので、好き嫌いではなく、たとい嫌いであっても、同じく妻として尊重しなければならないのです。
18節~21節:親に逆らう子は、石で打ち殺される罪になるのです。どのようにしても、親に逆らい、父母に従わない時は、町の長老たちに訴えて、町の人たちみなが石で打ち殺すことを定めています。おそらく、実際に、自分の子を長老たちに訴えて、石で打ち殺された例は、ほぼ皆無であったと思われます。ただ、この戒めによって、町の人たちが、お互いのこどもたちのことに関心をもって見ていた事は間違いありません。その点で、この戒めは、互いの家族に対して、無関心であることを避ける意味があったものと考えられます。
22節~23節:死刑になった犯罪者が、木に架けられていても、その死体を次の日まで木に架けておいてはならず、その日の暮れる前に、木から取り下ろして埋葬するように命じられています。なぜなら、神の呪われた者は、約束の地を汚すことがないように、その日のうちに、埋葬して、清める必要があったからです。
今日の個所は、一見、何の脈絡もないように見えますが、一応、次のように考えると繋がりが見えてきます。争いと戦争、戦争と捕虜、捕虜との結婚、結婚と子供、子どもとしつけ、しつけと刑罰、刑罰と呪い。共通していることは、契約の民として、約束の地において生きるとはどういうことか、いろいろなケースを取り上げて、注意を喚起していると思われます。
さて、最後の23節の「木に吊るされた者は、神に呪われた者だからである」と記されています。新約聖書のガラテヤ人への手紙の中で、この聖句を引用して、とても、重要なことを私たちに教えています。「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』(申命記21章23節)と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ人への手紙、3章13節、14節)。イエス様は、私たちの罪の贖いのために、みずから、呪われた者となり、十字架に掛かられました。神に呪われた者となるというのは、神の御子にとって、どれだけの苦痛だったでしょうか。しかし、私たちが永遠の地獄の刑罰から救われて、御国を受け継ぐ者として、御霊を受けることが出来るように、その呪いを身代りに受けて下さったのです。
主に感謝します。主をほめたたえます。きょうも、御霊によって満たし、御国のこどもにふさわしい車の運転、御国のこどもにふさわしい買い物、・・・御国のこどもとして、ふさわしく歩ませてください。
清宣教師