きょうは、イスラエルが戦いに臨むときの指示が記されています。
1節~9節:まず、祭司が民たちに語りかけます。敵と戦い勝利させてくださるのは、主なる神であることを確認しています。勝利は、決して、戦闘員の人数や軍馬や兵器の量によるのではないのです。それから、戦いに参加しようとしている全員に対して、戦いに参加してはならない者たちの条件を示しました。つまり、①新しい家を建ててまもなく、まだ、それを奉献していない者、②ブドウ畑を作って栽培しているが、まだ、その果実を収獲していない者、③婚約しているが、まだ、結婚していない者、それらのものは、戦いを免除されること、さらに、④恐れて弱気になっている者も、戦いの兵役から免除されることを、全員に対して宣言するように命じられました。そして、これらの条件に合う者たちが、それぞれの家に帰った後、その場に残った者たちが兵士となり、将軍たちは彼らを率いて敵にあたるように、と命じられています。つまり、神の約束の地では、戦闘よりも、日常生活の秩序を重視するように勧めています。
10節~18節:約束の地に住んでいるヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人たちを除く(16節~17節)、遠くの地にある町々と交戦する場合は、必ず、最初に降伏を勧めること、降伏に同意して町の門を開くなら、その住民をみな生かして、苦役に服させることと、命じています。しかし、その町の住民が降伏せず、戦いに出てきた場合は、これを包囲して、占領するように命じています。
19節~20節:敵を占領しようとして、町を包囲した場合を想定して、ひとつの注意を与えています。なかなか、その町を占領することが出来ず、それが長期に及んだとしても、決して、果樹や実のなる木を切り倒して用いるようなことはしてはならないというのです。つまり、勝敗だけを考えて、創造主の恵みを無視することを禁じています。これらの果実や実のなる木は、それを育てるのに、数年以上かかります。それは人の食物として、主が備えて下さったものです。ですから、とりでを築くなら、実を結ばない種類の木を使用するように命じています。この記事を読むときに、かつてのベトナム戦争で、米軍が除草剤による枯葉作戦でジャングルの木々を枯らしてしまったこと、また、ナパーム弾によって森林を焼き払ったことなどを思い出します。
きょうの個所から教えられることは、たとい、戦争のような非常事態であっても、人間として守るべきことがあるということです。いま、内戦や反乱などにおいては、憎しみのゆえに、人間としての尊厳を無視して、婦女子に暴行を加えたり、拷問や裁判なしの処刑などが、行なわれています。憎しみは理性を取り除いてしまいます。しかし、同時に、治安を取り戻そうとする者たちの中にも、憎しみのゆえに、不法な方法で報復する時があります。こうして、憎しみの連鎖が生れてしまいます。
きょう、祈りましょう。聖なる主なる神様、私たちを取り巻く、不安定な国際情勢に対して、各国の政治的指導者が正しく対処できますように、主からの知恵が与えられますように、お祈りいたします。
清宣教師