1節~43節までが、モーセの歌と呼ばれているものです。40年前に、民たちが、紅海の海の底に現われた道を通って、エジプトを脱出した時、ミリアムと女たちは、歌と踊りを持って、感謝の賛美を主に捧げました。歌は、記念すべき出来事を覚えるのに有用な手段です。主なる神は、イスラエルの民たちが、将来にわたって、心して主に仕えるように、モーセにひとつの歌を授けたのです。そこで、モーセは、初めから、終わりまで、全集会に聞こえるように、唱えたのです(31章30節)。
さて、これをいくつかに分けて、見ていきましょう。
1節~4節:「主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である」。この告白のように、出エジプト以来、40年の荒野での生活を通して、いかに、主が真実なお方であるかを、イスラエルの民たちは学んだのでした。
5節~9節:「主の割り当て分はご自分の民であるから、ヤコブは主の相続地である」。主は、全世界の民の中から、最も数の少ない民を選ばれました。そして、契約を結ばれました。その契約は、主なる神がイスラエルの神となり、イスラエルは神の民となるというものでした。
10節~18節:「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。 鷲が巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれをり、羽に載せて行くように。ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった」。ここでは3つの比喩を用いて、主がイスラエルの民に、どのように接してこられたかを明らかにしています。まずは、「ご自分のひとみのように」と表現されています。瞳(ひとみ)は、体の中でも最も重要な部分のひとつです。人は、何か事が起こった時、まず守るのは、自分の瞳です。自分の腕で瞳が傷つかないように守ります。イスラエルの民に対する父なる神の愛と守りが、みごとに表現されています。次に、空飛ぶ鷲が、高い崖の上に巣をつくり、雛鳥を育てます。そして、ある時期が来たときに、巣から雛鳥を追い出します。雛鳥は、高い崖の上から谷底へと落ちていくときに、一所懸命に飛ぼうとしますが、まだ、良く飛ぶことが出来ません。そこで、親鳥は、自分の翼をのべて、雛鳥を翼の上に乗せて巣に戻します。それから、また、雛鳥を巣の外に追い出します。こんなことを繰り返して、雛鳥は、だんだん、自分の力で飛べるようになっていくのです。そのように、主なる神は、イスラエルの民を、少しずつ、訓練して、一人前に仕上げたのです。さらに、「ただ主だけで導き」と記して、良き牧者が羊の群を導くように、主なる神はおひとりで、イスラエルの民を導かれたことを表現しています。後半は、それにもかかわらず、主に背を向けるイスラエルの民の背教の姿を描いています。
19節~35節:そして、主は民を裁かれます。「彼らは、神でないもので、わたしのねたみを引き起こし、彼らのむなしいもので、わたしの怒りを燃えさせた」。そして、具体的に、飢えによる荒廃、災害による壊滅、激しい悪疫、野獣や毒蛇の被害、それだけでなく、外敵の攻撃などが引き起こされることが予告されています。
36節~43節:主はイスラエルの民の背教に対して、徹底的に裁きをなされますが、その中にも、主の憐みは残されています。「主は御民をかばい、主のしもべらをあわれむ」(36節)と記されています。主がイスラエルの民を敵の手に渡したのは、敵の行いが正しかったからではなく、イスラエルの民の背教を罰するために用いたものであり、それにもかかわらず、敵が勝利を誇り、イスラエルに対して憐みのない残虐な行為をするときには、主ご自身がイスラエルのために、敵に報復されることが予告されています。「わたしがきらめく剣をとぎ、手にさばきを握るとき、わたしは仇に復讐をし、わたしを憎む者たちに報いよう」(43節)。
44節~52節:モーセはヌンの子ホセア(ヨシュアのこと)と一緒に、この歌のすべてのことばを、民たちに聞こえるように唱えました。それから、「あなたがたは、私が、きょう、あなたがたを戒めるこのすべてのことばを心に納めなさい。それをあなたがたの子どもたちに命じて、このみおしえのすべてのことばを守り行なわせなさい。これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばにより、あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、長く生きることができる。」と教え諭しました。同じ日に、主はモーセに、ネボ山に登るように告げられました。そこで、モーセは、この地での使命を果たし終えて、天の御国の一員として迎えられるのです。
きょう、私たちをバプテスマに導いて下さり、信仰生活へと導いて下さった主の恵みを思い起こしてみましょう。確かに、主は守り、導いて下さいました。また、敵の誘惑に陥りそうになったときには、そこから救い出してくださいました。ご一緒に宣言しましょう。「主は真実なお方です。主は、もろもろの誘惑の中で、私をひとみのように守って下さいました。また、危険の中で、主は、私を大きな翼に乗せて安全な居場所へ運んでくださいました。主に感謝します」。
清宣教師