モーセは、標高700メートルのピスガの頂上に登りました。そこで、主は、約束の地のすべてを、モーセに見せられました。北は、ギルアデをダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの地、ユダの全土を西の海まで、南は、ネゲブと低地、すなわち、なつめやしの町エリコの谷をツォアルまで、見せられました。それから、主はモーセに対して、仰せられました。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう。』と言って誓った地はこれである。」ところが、主は、モーセに対して、「わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」と言われました。なんということばでしょう。モーセにとっては、全生涯をかけてのライフワークでしたが、その成就を見ることが出来ないと言われたのです。しかし、それは、主がモーセに対して、意地悪だったわけではありません。モーセは、主の栄光をあらわすことをしなかったからです。それで、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死にました。そして、聖書は次のように述べています。「主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。」そして、モーセは、突然、新約聖書の中で、エリヤと共に、イエス様と3人の弟子たちの前に現われます。この出来事は、マタイの福音書17章1節~8節に記されています。エリヤは、御存じのように、この地上から火の戦車に乗って天の御国に凱旋しました。そのエリヤと共に、現われました。そのことから考えると、モーセも、モアブの地で、天に召されたとも考えられます。なぜなら、わざわざ、「主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。」と記されているからです。さらに、聖書は、「モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった」と証言しています。つまり、老衰で死んだのではありません。主によって取り去られたのです。そのあと、イスラエル人はモアブの草原で、三十日間、モーセのために泣き悲しむ喪の期間を過ごしました。そして、知恵の霊に満たされたヌンの子ヨシュアが、モーセの後継者として、モーセのあとを引き継ぎました。
ここで、申命記は終了して、次のヨシュア記に入ります。
モーセの人生は、大きく3つの時期に分けることが出来ます。まず、最初の40年です。奴隷の子として生れましたが、パロの娘に拾われて、王子として、宮殿で育ちました。40歳のとき、クーデターを起こして失敗して、エジプトを追われて、ミデヤンの荒野に逃れました。そこで、祭司の娘チッポラを妻として迎え、子供も与えられ、羊飼いとしての生活を過ごしました。80歳のとき、シナイ山のふもとで羊を飼っている時に、イスラエルの民をエジプトから救い出すようにとの主からの召命を受けました。そして、いま、120歳で、その生涯を閉じました。このように、モーセの人生は、40年、40年、40年の3つの時期に分かれます。私たちも、最初は、この世の教育を受けて育つ期間、次に、世の中で訓練される期間、そして、主からの召命に生きる期間というように、一般化することも可能と思われます。私たちも、段階を経て、主からの召命を受ける時が来ます。モーセは、80歳で召命を受けましたが、エレミヤの場合は25歳くらいの時に召命を受けています。それぞれ、召命を受ける年齢は、様々なようです。それは主が決められることです。
きょう、主からの召命について考えてみましょう。モーセのように、だれでも、最期を迎えます。主よ。わたしの召命を明らかにしてください。私の人生を通してなすべき使命は何ですか、主よ、どうぞ、示してください。
清宣教師