今日の17章は、16章の続きです。16章5節―10節では、ヨセフ族の中のエフライム部族の割り当て地について記されていました。17章1節―13節では、ヨセフ族の中のマナセ部族の割り当て地について記されています。そして、17章の後半(14節―18節)では、マナセ部族がヨルダン川の東側と西側の両方に割り当て地を持っていることに関して、エフライム部族が、自分たちの割り当て地を増やしてほしいと不満を述べているようです。
しかし、指導者ヨシュアは、エフライム部族の主張について、いくつかの質問をして、結局はその主張はエフライム部族の身勝手なものであることを明らかにしました。つまり、エフライム部族は、自分たちは大きな部族なので、もっと自分たちの割り当て地を増やしてほしいと言う理由の中に、今の相続地は、あまりにも強い敵がいるので、そこは放棄して、もっと、戦わなくても手に入るような土地を与えて欲しいという動機が隠されていることが分ったのです。
それで、ヨシュアは、毅然として、エフライム族に言い渡しました。「あなたたちは、自分たちの部族は数の多い民である、だから、割り当て地が足りないと言うけれども、あなたは数の多い民であり、12部族の中でも大きな力を持っている。だからこそ、まさに、あなたがた自身が、強い敵と戦って、その土地を自分たちのものとしなければならない」
ここでは、真実はなにかが問われています。隠された動機はどこにあるのかが問われています。私たちも、往々にして、自分の真の動機を隠して、もっともらしい理屈を述べて他の人に、あるいは、社会に対して、要求する場合があります。しかし、指導者ヨシュアがエフライム部族の隠された動機をみて、エフライム部族の主張を退けられたように、私たちの指導者であるイエス様も、私たちの要求の中に隠されている動機を見抜いて、その主張を退けることがあります。そのとき、私たちは、主に対して、なぜというのではなく、正直に自分のうちにある隠された動機を認めて、自分の非を認めて、へりくだることが必要です。自分の主張に、裏はないのか、身勝手な主張はないか、隠された動機はないか、調べる必要があります。なぜなら、主は真実を大事にされるからです。主が私たちを調べて真実を示してくださいますように、そして、私たちがなすべき行動を示してくださいますように。
きょう、私たちが一段と成長するためのアドバイスを、主が与えて下さいました。他の人に要求するのではなく、私たちの信仰が問題なのです。大きな信仰を持つことが出来ますように、私たちを祝福して下さい。
清宣教師