13章で、ヨシュアは、「年を重ねて老人になった」と記されていましたが、その時は、主から「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている」と言われました。それから、大分経ちますが、今日の23章で、「主が周囲のすべての敵から守って、イスラエルに安住を許されて後、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。」と記しています。
13章で、ヨシュアは、いったんは自分が老人になったということで、一区切りして引退しようとしたようですが、主はそれを許さず、残りの土地をすべて占領するまで、最後まで戦い抜くことを命じられました。そして、ヨシュアはその命に背かず、最後まで戦い抜きました。
13章では、自分自身、老人になったという、力の衰えを感じたのだと思います。しかし、主にあっては、いわゆる老人になっていても、力が湧いてくるようです。そして、イスラエルに安住の日が来てから、さらに、そののち、多くの日を経て、ヨシュアは老人になりました。
23章の時には、確かにヨシュアは主の前にも老人になっていたようです。今回は、主は、ヨシュアが引退することを許されました。ヨシュアは、全イスラエル、その長老たちや、かしらたちや、さばきつかさたち、およびつかさたちを呼び寄せました。ヨシュアはここで、自分の最期が近いことを知り、すべてのものに、最後のメッセージをしました。いわば、遺言というか、告別説教というべきものです。
ヨシュアは、イスラエルのすべての指導者たちに、繰り返し、主の恵みのみわざを覚えるように語っています。そして、主のみことばを守るように勧めています。また、もし主のみことばに背をむけるなら、必ず、滅びるとの警告も告げています。ヨシュアは、イスラエルには、神の民として、神のみことばを守る民としての使命があることを、念をおして確認しています。
ところで、日本でも「一騎当千のつわもの」ということばがありますが、これは今日の23章10節に由来するものと思います。「あなたがたのひとりだけで千人を追うことが出来る」。ひとりだけで千人を追うことが出来るという、その根拠は、「あなた方の神、主ご自身が、あなたがたに約束した通り、あなたがたのために戦われるからである」(10節後半)と述べています。
私たちの戦いは、決して、隣国と戦うことではありません。私たちの国における福音宣教こそ、私たちの戦いです。サタンとの戦いです。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」(マタイの福音書28章20節後半)。西多賀、仙台、宮城、東北、そして、全日本の魂を獲得できるように、聖霊様の助けにより、救霊のみわざが進みますように、日本の1億2千万の国民が創造主を礼拝する民へ変えられますように、共にいのりましょう。主が、豊かに祝福して下さいますように、救いの器として、私たちを豊かに用いて下さいますように。
清宣教師