今日の6章では、第5番目の士師である、ギデオンの召命について語られています。神の召命を受けても、ギデオンはなかかな応答することが出来ず、主にしるしを求めています。ギデオンは、自分に語られたのは、確かに主のみつかいであるというしるしをみて、そこに主の祭壇を築きました。
主はまず、ギデオン自身の家のバアル崇拝をやめることを、求められました。ギデオンの家系は、バアル神殿の管理者の家系であったようです。ギデオンは、主が命じられたことを昼間に行うことが出来ず、夜の闇にまぎれてバアルの祭壇を取り壊し、アシェラ像を切り倒して、新しく築かれた主の祭壇の薪として、雄牛の犠牲を捧げました。
ギデオンの父親ヨアシュは、この事件を通して、悔い改め、主に立ち返ったと思われます。町中の人が集まってきて、ギデオンを殺すように要求した時、ヨアシュは、「もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取り壊されたのだから、自分で争えばよい」と言って、町の人たちの要求を退けました。これ以来、ギデオンは、「エルバアル:バアルは自分で争えばよい」という名前で、イスラエル中に知れ渡るようになりました。
主の霊がギデオンを覆い、ギデオンは角笛を吹き鳴らしました。しかし、それでも、ギデオンは、繰り返し、主からのしるしを求めています。ギデオンが置かれている状況があまりにも惨めな状況にあったので、容易に召命を確信することができなかったと思われます。羊の毛によるしるしを求めました。そして、主は、ギデオンの要求のとおりに、しるしを与えられましたが、ギデオンは、再度、しるしを求めました。7章に入ると、主はギデオンが確信できるように、もうひとつのしるしを与えられました。理想的には、しるしを求めることなく、主の召命に従うことですが、主は私たちの弱さを理解され、私たちの弱さに対応して下さる方であることが分ります。
私たち自身も、いろいろ、主からの召命をいただいております。その都度、しるしを求めて解決するのが良いのか、それとも、御ことばですから、と言って従うことが良いのか、その判断は難しいと思われます。基本的には、主のみことばと聖霊様の導きを求めることであると思われます。みことばと聖霊様の導きなしに、最初から、しるしに頼るのは、非常に危険です。みことばと聖霊様の導きを求める中で、ひとつの方向に導かれて、その中で確認のために、しるしを求めることは、信仰の先輩たちもしてきたことだと思います。きょう、主よ、私たちの信仰を増し加えて下さい。主のみこころかどうかを判断できる、識別力の賜物を与えて下さい。
清宣教師