さて、きょうの10章ですが、サムエルは、いよいよ、サウルに対して、油の壺をとり、彼の頭に油を注ぎ、彼に口づけして、主の召命のことばを宣言しました。また、この日に起こる出来事を預言しました。そして、預言の通りに、サウルは、主の霊の注ぎを受けて、心を新しくされました。
サムエルは、民を主のもとに集めて、王を選ぶために、それぞれの部族ごとにくじをひかせました。ベニヤミン部族があたったので、今度はベニヤミン部族に属する各氏族ごとにくじをひかせました。そこで、最後にサウルが取り分けられました。
しかし、サウルが見当たりません。人々が探すと荷物の間に隠れていました。そこで、サムエルは全会衆の前で、主のことばとして、サウルを王として任命しました。人々は、王様万歳と言って祝いました。そのあと、民に対して王の責任を告げ、それを文書にして、主の前に保管しました。そして、民たちはそれぞれの相続地に戻って行きました。サウルもまた、自分の家に帰りました。まだ、王宮も、宮廷の組織も、なにも出来ていませんでした。しかし、心動かされた者たちは、サウルについていきました。他方、よこしまなものは、サウルを軽蔑して、無視しました。しかし、サウルはそれに対して黙っていました。
振り返ってみますと、まず、主はサウルに対して、サムエルを通して、個人的に王としての召しをあたえ、油注ぎを与えました。つぎに、サムエルは、公けにサウルが王として認められるために、全会衆を集め、くじ引きという手段で、サムエルの主観による選びではなく、主が選ばれる人であることを客観的に示しました。一方、王政はまだイスラエルの民になじみがなく、王の任命だけで、ひとまず、終えました。まだ、王や宮廷に仕える家来たち、あるいは、軍隊などの組織や、財政的な基盤など、なにも出来ていませんでした。それで、サウルは、王には任命されましたが、自分の家に帰り、畑を耕しておりました。自主的にサウルについていった者たちも、自分たちの生計を維持するには、畑を耕す以外にありませんでした。
サウルが実質的に、イスラエルの王となるのは、このあとの11章でのことです。ひとつひとつの段階を踏んで、イスラエルの王政が築かれていくことが分ります。最初から、完成した王政があったわけではなく、まず、ひとりの王が立てられ、そこから、家来たちが与えられ、そして、王政が築かれていきました。
イエス様の宣教でも、まず、ひとりひとりの弟子への召命がありました。それから、教会の形成がありました。このように、主の御計画は、どんなにおおきなものであっても、まず、最初は一人の人の召命から始まるように思われます。いろいろな宣教団、例えば、大きな世界宣教の団体でも、最初は一人の人への召命から始まりました。私たちは小さな存在であり、世界にくらべれば無視されるような存在です。しかし、主はひとりひとりを用いられます。一人を召して、使命をあたえられます。それから、一歩、一歩、大きくなり、やがて世界に影響をあたえるような団体となるのです。ひとりひとりが、主の前には、大事な器です。一人の中に無限の潜在力があります。主よ。捧げます。あなたの器としてきよめて用いて下さい。御子イエス様の燃えるような愛を与えて下さい。
清宣教師