さて、ダビデは、サムエルのいたラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来ました。そして、ヨナタンに「あなたの父上が、私のいのちを求めています」と訴えました。しかし、ヨナタンは、父サウルのことばを信頼しており、「あれ(ダビデ)は殺されることはない」と約束したのだから、「絶対にそんなことはありません」というのでした。しかも、「そんな大事なことを私に隠しておくはずがない」というのです。しかし、ダビデは、そのことを隠しているのは、ヨナタンが悲しまないようにとの配慮であり、実際、「私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません」と訴えました。そのダビデの真剣な訴えに、ヨナタンも事の深刻さを感じ取ったようです。そして、自分が何をすればよいか、ダビデに尋ねました。ダビデは、サウル王の本心を確かめて欲しいと頼みました。そして、もう一度、ヨナタンとダビデは、いのちの契約を結びました。
そこで、ヨナタンは、新月祭の王の食卓につらなりました。ダビデは欠席でした。最初の日は何事もなく、過ぎました。しかし、二日目のことです。サウル王はダビデが食事の席にいないことを咎めました。それで、ヨナタンが、ダビデは自分に頼んで、故郷の町でいけにえを捧げるために休暇をとったのです、と答えました。そのことを聞いた途端、サウルの怒りが爆発しました。サウル王にとっては、ダビデは自分の王位を狙うものであり、それは息子ヨナタンが当然、継承すべき王の地位を危うくするものである、というのです。その息子ヨナタンが、こともあろうに、ダビデに組するなど、もってほかであること、そして、ヨナタンをそこまで惑わしたのはダビデであり、ダビデを絶対に生かしておくわけにはいかないというのです。それでも、ヨナタンは、「なぜ、あの人(ダビデ)は殺されなければならないのですか、その人が何をしたというのですか」とダビデをかばいました。すると、サウルはもはや理性を失い、自分に逆らう者は決して生かしては置かぬと言うばかりに、槍を投げて、ヨナタンを打ち殺そうとしました。これをみたヨナタンは、父サウルの中にある、ダビデに対する殺意が、なみなみならぬものであることを悟りました。ヨナタンは、ダビデのことを侮辱した父サウルを赦すことが出来ず、サウル王の食卓には、連なりませんでした。そして、朝になり、ダビデに、急いで逃げるように勧めました。それは涙の別れでした。ダビデとヨナタンの二人は、口づけして、抱擁しました。ダビデは激しく泣きました。最後に、ヨナタンは、再び、ダビデとの間の誓いに触れて、二人の間には永遠の証人がいることを告げて、「安心して行きなさい」とダビデを見送りました。それから、ヨナタンは町へ帰って行きました。ダビデはいよいよ、逃亡者としての人生をおくることになります。そして、この逃亡者としてのダビデの人生をつねに、励まし支えてくれたのが、ヨナタンでした。
主によって召された者の道は、決して平たんではありません。ある時は、苦悩の連続です。しかし、そこに主は、理解者を備えて下さいます。たとい誰がいなくても、一人の理解者がいることは確かです。イエス様が保証されました。もうひとりの助言者を遣わします、と約束されました。聖霊様、私の中にお住まい下さることを感謝いたします。きょう、私を励まし、支えて下さい。さらに、さらに、成長させてください。
清宣教師