さて、サムエル記第1の2章ですが、ダビデは主に伺い、主の御計画に沿って行動を開始しました。そして、ユダのヘブロンに移り住みました。そこで、ユダ部族の人たちがやってきて、ダビデを王として迎えました。ダビデは二度目の、王としての油注ぎを受けました。しかし、サウル王家からダビデ王家への移行は、すみやかには行われませんでした。実現するには紆余曲折がありました。なぜなら、サウルの将軍であったアブネルが、サウルの子イシュ・ボシェテを全イスラエルの王として立てたからです。これが7年6か月も続きました。ダビデはサウル王家を滅ぼすことを願ってはいませんでした。また、サウルの子イシュ・ボシェテにしても、サウル家の弱体化でダビデ家を滅ぼすというような欲はなく、サウル家を維持するので精いっぱいという状況でした。しかし、サウル王家の将軍アブネルとダビデ王家の将軍ヨアブは、対立意識が強く、両者の家来たちの間に衝突が生じて、しばしば、無用な血を流すことになりました(2章12節―2章32節)。最初、アブネルがヨアブに格闘技の試合をすることを提案しました。競技としての格闘だったのかもしれません。それが、いつのまにか、戦闘となり、しかも、最初は12人の代表選手による格闘であったものが、両家の家来全体の戦闘に発展してしまいました。そのような戦いのなかで、サウル王家の将軍アブネルがダビデ王家の将軍ヨアブの兄弟アサエルを槍で刺し殺しました。ダビデ側の死者20人、サウル側の死者360人の犠牲者が出ました。ついに、アブネルが、ヨアブに呼びかけて、兄弟同士での殺戮をやめようと提案して、ヨアブもこれに同意しました。しかし、この時の出来事が、あとあとまで、ヨアブの遺恨を買うことになり、のちにアブネルはヨアブによって暗殺されることになります。こうして、「サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。」(3章1節)と記されているような状況が生じました。本来、兄弟同士の間なのですから、殺戮を繰り返すことは愚かなことでした。しかも、このような殺戮を通して、両家の家来たちの間に犠牲者が生じ、それがお互いの怨恨として残ることになり、ますます、一致することが難しくなるのです。
今日の個所から教えられることは、神様の御計画が分っていても、それに従わない時に、無用な争いを起こすことになり、しかも、周りの人たちに多大な犠牲を強いる結果となる恐れがあるということです。私たちも、神様の御計画が分ったら、直ちに、素直に従うことが求められています。
清宣教師