きょうの19章では、ダビデはアブシャロムが死んだことを悲しんでいます。それはダビデがバテシェバとの罪を犯したとき、預言者ナタンが預言したとおりのことが起こったからです。息子の反乱も、その原因は自分自身にあるということを覚える時、アブシャロムを責めるよりも、わが子に対する不憫な思いが心を占めたからであると思われます。それにしても、ヨアブをはじめ、劣勢にあるダビデの軍勢が死に物狂いでアブシャロムの正規軍に立ち向かって勝利を得たのですから、ダビデ王が「わが子アブシャロム、アブシャロムよ。」といって大声で泣いていることは、ダビデに仕えていた者たちにとっては不快なことであったと思われます(4節、5節)。そこで、ヨアブが、王の家に行き、ダビデの部下たち、民たちにねんごろに語るように勧めました。その結果、ダビデ王は、門のところに座り、すべての民たちに語りました。こうして、ダビデの家来や民たちの心はダビデに繋ぎとめられました。
ダビデは、アブシャロムを失なって初めて息子の存在が大きいことを知りました。しかし、時すでに遅しでした。もっと、早くから、ダビデが息子たちと、キャッチボールをしていたら、このような結末を迎えることはなかったと思われます。
その後のダビデの行動は、すべてのユダの人々の心をひとつにさせて、ダビデを王として迎えるように導きました(14節)。そして、エルサレムに帰る途中、シムイやツィバやメフィボシェテが迎えにきました。彼らはもともとサウルに関係する人たちでしたが、ダビデは彼らのことばを受け入れて、寛大に処置しました。
このような出来事の中で、ギルアデ人バルジライは、ダビデにとって慰めのひとでした。宮殿を追われて逃亡するダビデに対して、親切にしてくれた人でした。ダビデはバルジライに対して恩返しをしようと思いますが、バルジライはそれを辞退し、バルジライの息子キムハムがその恵みを受けることになりました。こうして、ダビデは、ヨルダン川をわたり、ギルガルへ進みました。ところが、そこで、イスラエルの部族とユダ族の間で、ダビデを王として迎えるやり方について、対立が起こり、イスラエルの10部族が離反しました。本質的な問題はなかったにもかかわらず、双方のプライドのゆえに、無用な対立が生じてしまいました。
今日の個所から教えられることは、個人対個人でも、共同体対共同体の関係でも、双方の間で日頃からキャッチボールをすることが協力関係を築く秘訣のようです。一方で、プライド、妬み、劣等感、損得勘定などが、双方の関係の間に割り込んでくると、相互の関係がおかしくなることが示されています。謙遜、愛、無私の心こそ、真実の信頼関係を築く土台である、と教えらえます。
清宣教師