いよいよ、ソロモンの子のレハブアムが、全イスラエルの王になろうとしていました。全イスラエルの代表がシェケムへ集まりました。そして、イスラエルの全集団の代表として、ヤロブアムがレハブアムに言いました。「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」と。そこで、まず、レハブアムは父ソロモンが生きていた時の長老たちに相談しました。長老たちはすでに、ソロモン王の時代の繁栄の陰にあったひずみに気付いていたようです。つまり、民たちへの重い負担という犠牲の上に成り立つ繁栄であることに気付いていたようです。それで、長老たちは、レハブアムに対して、「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」と助言しました。しかし、苦労知らずのレハブアムは、不満足だったようです。この長老たちの助言を退け、彼に仕えている若者たちに相談しました。若者たちは、「私の小指は父の腰よりも太い。私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう」と。三日目にレハブアムのところにヤロブアムたちがやってきたとき、レハブアム王は、長老たちが彼に与えた助言を退け、若者たちの助言のように荒々しく民たちに答えました。そこで、交渉は決裂して、北イスラエルは、ヤロブアムを王として迎えました。こうして、イスラエルの王国は、北と南に分裂してしまいました。なんと、いとも簡単にふたつに分裂してしまったのです。それはすでにソロモン王の時代に始まっていた背教の結果でした。その後、レハブアムは、北イスラエルを取り戻そうとして、役務長官アドラムを北イスラエルに遣わしましたが、石で打ち殺され、レハブアム王も、エルサレムに逃げ帰りました。その後、レハブアム王は、ユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、北イスラエルと戦おうとしました。しかし、神の人シェマヤが現われて、主のことばを告げました。彼らは、主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに、戦いに出るのをやめて、故郷へと帰って行きました。
一方、ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建しました。また、ヤロブアムは、北イスラエルの民が主の例祭を守るために、エルサレムの神殿に参拝する限り、いつの日か、ダビデ王家のもとに帰ってしまうのではないか、と考えました。そして、ヤロブアムは、ふたつの金の子牛をつくり、北イスラエル王国の南部のべテルと、北部のダンの2か所に金の子牛を安置しました。しかも、ユダの祭にならって1カ月遅れの例祭を新たに設定したのです。そして、ヤロブアム王は勝手に任命した祭司たちをべテルに常駐させました。こうして、北イスラエルの部族が南ユダのエルサレムに巡礼するのを阻止しました。この偶像礼拝の罪は、のちのちまで、「ヤロブアムの罪」として名を残すことになりました。ヤロブアムは、主への礼拝を形だけ似せて、巧妙に中身をすり替えてしまったのです。
今日の個所から教えられることは、為政者が巧妙に宗教を利用することがあるということです。日本でも、政治と宗教の分離の原則が守られるように、お祈りする必要があります。私たちも真剣に聖書を学び、主を第1とする生活をしていないと、いつのまにか、妥協の世界の中に引きずり込まれてしまう恐れがあります。そうならないように、共にお祈りする必要があります。
清宣教師