今日の個所の最初のところで、ヒゼキヤ王は、自分の衣を裂き、荒布をまといました。南ユダは絶体絶命の危機にあったからです。ヒゼキヤ王は、最後の頼みの綱である預言者イザヤのもとに側近の者たちを遣わしました。そして、預言者イザヤに残りの民のために執り成しの祈りを依頼しました。そこで、預言者イザヤは、主のみことばをヒゼキヤ王の側近の者たちに伝えました。「彼は、自分の国に引き揚げる」という主のことばでした。
そして、事実、事態は主の預言のことばのとおりに動き出しました。アッシリヤの王は、再び、ヒゼキヤを脅しますが、ヒゼキヤ王は、主の宮に登り、主の前で、アッシリヤ王からの手紙を拡げて読み、祈りました(14節)。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリャの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」(15節~19節)。
そして、主はイザヤを通して、ヒゼキヤ王の祈りに対する応答を伝えました。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』」(20節)。それはアッシリヤ王の敗北を宣言する預言のことばでした。そして、その夜、その預言のことばは現実のものとなりました。「その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだ。彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子のアデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれた。それで彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。」(35節~37節)。
列王記の時代、イスラエルを取り巻く環境は、さまざまな偶像の神々の支配でした。スコテ・ベノテ、ネレガル、アシマ、ニブハズ、タルタク、アデラメレク、アナメレクなどなど(列王記、第2、17章30節~31節)の神々の名前が記されています。現代の私たちはどうでしょうか?偶像の神々は無関係なのでしょうか? イエス様は、わたしたちのために祈られました。「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」
残念ではありますが、私たちの仙台の町もまた、伊達政宗が城下町として設計するにあたり、呪術により、六芒星の法則により町を築いたと言われています。そのかなめとなったのが、仙台城本丸、愛宕神社、榴ヶ岡天満宮、仙台東照宮、青葉神社、大崎八幡宮の6つを結ぶ六芒星の配置です。現在も、それぞれの神社での初詣や年間の祭をとおして、偽りの神々の支配が行き渡るように、継続されています。これらの偶像礼拝の罪を悔い改め、悪しき霊的束縛を解き放つために、創造主が備えられた霊的な要塞のひとつが西多賀教会であると考えられます。きょうも、創造主を賛美して生活しましょう。仙台の地に大きな救いがもたらされるように、共に祈りましょう。
清宣教師