今日の個所は、門衛の組み分けです。25章では音楽の達人として、アサフ、ヘマン、エドトンの御三家が記されていましたが、門衛の組分けでは、レビ族の中で、コラ人アサフ族のメシェレムヤの家系18人、ガテ人オベデ・エドムの家系62人、それにメラリ族のホサの家系13人の御三家があり、これらの人が、門衛たち4000人(23章5節参照)のリーダーたちであったと考えられます。この御三家以外に、宝物蔵を守る人たちがいました(20節~32節)。オベデ・エドムに属する人たちに関して、「その奉仕にふさわしい力ある勇敢なひと」と記されています。また、ところどころに、「勇敢な人」「勇士」「勇者」という表現が出てきます。門衛の役割を果たすために、必要な賜物であったと考えられます。しかし、みながみな勇士であったわけではありませんでした。そこが門衛と兵士たちの違いであると思われます。主の宮を守る門衛です。厳密に言えば、門衛が主の宮を守るのではなく、主ご自身がイスラエルを守るお方です(詩篇121篇4節参照)。主の宮の門衛の働きとしては、神の民が礼拝を捧げるにふさわしい場所として、秩序正しく礼拝できるようにすることが第1の役割であったと考えられます。
一方、この歴代誌の書かれた時代、つまり、バビロン捕囚から帰還した民たちが、小規模ながら、神殿を再建して、イスラエルの国を復興させようとする時期において、まだ、エルサレムの治安は不完全であり、たえず異教の敵たちからの攻撃にさらされていたことを考えると、勇士としての賜物が必要とされていたと考えられます。それで、過去のダビデの時代の姿を描くことにより、門衛たちにも、自分たちが目標とすべきビジョンを与えて、勇敢に、主の宮を守るべきことを鼓舞する目的があったと思われます。
なお、前章までと同様に、「下の者も上の者も等しく」(13節)という原則が述べられています。また、31節には、辺境の地で働いていたひとたちにも、ダビデが目をかけていたことが記されています。その背後には、主の目があったということです。日の当たる都だけでなく、日の当たらない辺境の地であっても、等しく主の目は注がれている、ということを示していると思われます。
教会の中にも、多種多様な奉仕があります。それぞれの役割分担があり、必要な賜物があります。主の教会の働きとして、適材適所で、兄弟姉妹が喜んで奉仕できるようにお祈りしたいと思います。
清宣教師