南ユダの王、アビヤは先祖たちと共に眠り、その子アサが王となりました。アサ王は、主に対する素直な信仰の持ち主でした。みことばを尊重し、偶像を取り除き、自分の母が偶像を造った時には、王母の位から退けて、その偶像を粉々に砕いて焼いて捨てることもしました(15章16節)。そして、実際の政治面においても、主により頼む、まことの信仰者でした。南ユダに穏やかな10年の歳月が過ぎた頃の出来事でした。突如、大問題が起こりました。それは、クシュ人(エチオピア人)の将軍ゼラフが、100万の大軍と300台の戦車を率いて、南ユダのマレシャに攻め寄せてきました。マレシャはエルサレムから南西約30kmの町でした。仙台から南西約30kmといえば、白石よりも仙台に近い、蔵王町くらいのところです。南ユダの軍勢は、クシュの半分くらいの軍勢でした。とても勝ち目のない状況でした。
ところが、ここでユダの王アサは、信仰者としての姿勢を明確に示しました。逆境においてこそ、その人の真価が問われますが、アサは明確な信仰の告白を残しています。あの有名な告白です。「アサはその神、主に叫び求めて言った。『主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。』」(14章11節)。そして、主はアサの信仰に応えてくださいました。クシュ人はユダの前に打ち破られて敗走しました。そして、その戦利品は南ユダのものとなりました。14章では、若いころの素直な信仰者としてのアサの姿が描かれています。この章のアサ王の生き方は、私たちの信仰の告白の模範です。
ところで、主にある希望をもつことと、楽天主義の生き方は違います。楽天主義はすべて物事が好転すると期待する生き方です。一方、主にある希望とは、主の約束は、主が必ず成就して下さると信頼する生き方です。ユダの王アサは、すべての物事が好転すると信じる楽天主義の人ではありませんでした。そうではなく、自分も含めてユダの民が礼拝する万軍の主である神に拠り頼むとき、主が必ずこのクシュ人の大軍から救い出して下さるという信頼、主にある希望に生きる人でした。私たちのまわりには、ポジティブ・シンキングなど、未来が、必ず、好転するということを信じる生き方が勧められています。しかし、私たちの信仰者の生き方は、未来が好転するということに信頼を置くのではなく、私たちを無限の叡智と愛をもって創造し、さらに御子のいのちの代価をもって贖って下さった神ご自身に、絶対的な信頼を置く生き方です。
清宣教師