アサ王の治世の36年目のことでした。北イスラエルの王バシャが、南ユダ王国に攻め上ってきました。そして、エルサレムを包囲して、ラマに要塞の町を築こうとしました。そこで、アサ王は、主の宮と王宮にあった宝物蔵から金と銀を取り出し、北イスラエルの隣国であるアラムの王ベン・ハダデに使者を遣わし、その金や銀を送って、北イスラエルとの同盟を破棄するように願いました。それで、アラムの王は北イスラエルを攻撃したので、北イスラエルのバシャは、ラマを築くことを中止して北イスラエルに帰って行きました。アサ王としては、自分の政治的な手腕で見事に危機を乗り越えたと自負していたようです。ところが、主の予見者ハナニがアサ王のもとに来て、主により頼まず、アラムに頼ったことを不信の罪として糾弾しました。アサ王は悔い改めることをせずに、激しい怒りをもって予見者ハナニに足かせをかけました。それがもとで、アサ王は、自分の両足が病気にかかりました。それでも、悔い改めることをせず、アサ王は医者に求めましたが、その病は直らずに、死にました。そして、ダビデの町に手厚く、葬られました。民たちは、彼のためにたくさんの香をたいてその死を惜しみました。
やはり、繰り返しになりますが、最後の最後まで、主に対して忠実に生きることは、とても難しいことが示されています。そのためには、民たちの祈りの支援が不可欠だったのだと思います。指導者のために祈ることは、民たちの責任です。使徒パウロは、王とまた高い地位にある人のために祈りなさい、と勧めています。日本の総理大臣や閣僚のために祈ること、最高裁の判事のために祈ること、国会議員のために祈ること、また、県知事や市町のために祈ることも、私たちの責任です。また、教会の牧師のために祈りましょう。
清宣教師