まず、青銅の祭壇ですが、モーセの幕屋の時代、青銅の祭壇は長さ5キュビト、幅5キュビト、高さ3キュビトでしたが、今回のソロモンの神殿の青銅の祭壇は、長さ20キュビト、幅20キュビト、高さが10キュビトもあります(4章1節)。モーセの幕屋の時よりも、体積としては約60倍ちかく大きくなっています。モーセの幕屋の時代に比べて、イスラエルの人口が増えたこと、また、祭司やレビ人など奉仕者の数も増えたことが、その理由と考えられます。次に、大きな鋳物の海が造られました。これは特に祭司が身を洗うためのものでした(2節~5節)。それから、洗盤は、犠牲として捧げる動物を清めるためのものでした(6節)。洗盤の数は、モーセの幕屋の時代は1個でしたが、ソロモンの神殿の場合は10個(6節)ということで、モーセの幕屋の時代の10倍の数となっています。同様に、聖所の中の金の燭台、備えのパンの机も、それぞれ10個(7,8節)となり、モーセの幕屋の時代の10倍となっています。ただし、それぞれ個々の燭台やパンの机は、モーセの時に示された規格にしたがって造られました(7節、20節)。つまり、人間の考えではなく、主が指示されたものについては、細部に至るまで、その指示通りに造ったということです。なお、11節や19節には「宮」、22節には、「神殿」と記されていますが、これらは建物全体を指しています。また、「内堂」(20節)は至聖所、「本堂」(22節)は聖所を指していると思われます。
ところで、神殿の外での祭司たちの奉仕は、一般の人たちの目にふれましたが、至聖所や聖所での奉仕は、一般の人々の目からは隠れていました。現在の教会の奉仕においても、奉仕の大部分は、隠れたところで行われています。例えば、掃除やスリッパ拭き、週報作成や印刷、お花を生ける奉仕なども教会員の目にふれないところで行われています。それに対して、礼拝の説教者や奏楽の奉仕者は、教会員の目にふれる所で行われます。しかし、その場合でも、例えば説教者にしても、奏楽者にしても、人の目にふれるのは準備の時間の10分の1にも満たないと思われます。10分の9以上は、人の目にふれないところでの奉仕です。そう考えると、説教者も奏楽者も、人の目にふれない奉仕者の一員であると考えることも出来ます。また、賛美のアシストの奉仕者、あるいは、司会者や音響の奉仕者も、とても、重要です。説教者や奏楽者の奉仕を生かすも殺すも、司会者や賛美のアシスト奉仕者、音響の奉仕者にかかっているのです。その責任はとても大きいのです。主の前に、最善を尽くして備えましょう。
清宣教師