ソロモンは、主の宮と建て、それから自分の宮殿を建てました。合計、20年の歳月が過ぎました。そこで、懸案であったツロの王フラムとの間にあった課題を解決しました。ソロモン王が、フラムの協力に対してお礼の品として贈ったガリラヤの20の町々を返還されたままになっていましたが、ソロモン王は、フラムがつまらぬ町々と評価してソロモンへ返却した町々を、価値ある町へと建て直して、イスラエル人をそこに住まわせました。また、前から懸案になっていた倉庫の町、防備の町々などを建てあげました。こうして、ソロモンは首都エルサレムの神殿や王宮だけでなく、辺境の地にいたるまで、イスラエルの全土に防御上の拠点をも建てあげたのです。こうして、エルサレムは平安のうちに守られ、神殿では日々の日課、また、安息日ごとの礼拝、また、年間の例祭を行うことができるようになったのです。ソロモンとフラムの間には、先のガリラヤの町々に関する評価の違いはありましたが、敵対関係ではなく、友好関係を保つことが出来ました(18節)。ここにも、ソロモン王の知恵が働いていたものと考えられます。
主の教会にあっても、防御は必要です。サタンなど存在しないかのように、眠りこけてしまった結果、中世の暗黒時代が出現しました。しかし、その後も、サタンの偽りに惑わされて、無防備な時代が継続しています。祈祷会は出席者が減り、祈りの時間は減少の一途をたどっています。先輩たちの祈りの貯金も、やがて、底をついてしまいます。霊的覚醒の時が与えられますように。信仰の勇士、祈りの勇士が起こされますように、共にお祈りしたいと思います。
清宣教師