表題には、「八弦の立琴」と記されています。8弦ですから、低音部まで弾ける立琴であったと思われます。この詩篇の時代背景としては、サウル王の治世の末期、ダビデは、ケイラの人たちによって裏切られようとしました。また、ジフの人たちも、ダビデを裏切りました。1節~4節は、不誠実な人たちのことばとそれに対抗する祈り、5節~8節は、神のことばの純粋さとダビデの確信です。1節でダビデは、「主よ。お救い下さい」と願っています。内容的には、神を恐れない者たちの不遜なことばが断ち切られるように、そして、神を恐れる信仰者たちが悪者のことばに負けることなく、正しいことばを語り続けることが出来るようにとの、2重の意味をもっているようです。2節では、互いに嘘を話し、へつらいと二枚舌が横行している社会の様子です。つまり、偽善とへつらいにより、互いに人間関係を保っている社会です。3節で、ダビデは、そのような偽りとへつらいと傲慢の舌が、主によってことごとく、断ち切られることを願っています。一方で、4節のように、不誠実な者たちは、口先のことばで勝つことが出来るし、支配することが出来ると豪語しています。まさに、私たちの日本の社会も、「おれおれ詐欺」が横行し、国会の答弁も、口先だけの答弁で幕引きがはかられています。様々な面で偽りのことばが横行しています。そこで被害者となるのは弱い立場の人たちです。5節で、主が答えをくださいました。かつてイスラエルの民が、エジプトで奴隷として苦しんでいた時、主はその苦しみを御覧になり、嘆きの声を聞かれて、イスラエルの民をエジプトの地から脱出させ、シナイの荒野において、神のみことばをもって養われました。同じように、ダビデが求める救いの中に導き入れて下さるという約束です。6節は、人間の偽りに満ちたことばとは異なり、主が語られる言葉は、混じりけがなく、信頼できる確かなことばです。「7回」とは、完全にという意味です。神のことばこそ、純粋で、永遠に残るものです。7節と8節で、信仰者としての応答が記されています。偽りに満ちた社会であっても、その中に生きる信仰者たちを、主は守って下さいます。嘘や中傷といった、卑しいことがあがめられている社会、そこは悪者たちが活躍する社会です。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちは、主によって選ばれ、主の弟子として任命された者たちです。私たちは、主からこの世へ遣わされた者たちです。この世は、偽りと中傷にみちた世界です。そこで、クリスチャンは、地の塩、世の光として輝くように命じられています。今日も、神のみことばの力によって支えられ、聖霊様の力によって支えられて、真実を語ることが出来ますように。
清宣教師