表題に示されていますが、この詩篇はダビデがサウル王の手から救われた喜びの詩篇です。それで、この詩篇18篇の内容は、ほぼそのまま、サムエル記第2、22章に記されています。それで、詩篇18篇は、サムエル記第2の22章がもとになっていると考えられています。つまり、サウル王による迫害の時期が終わり、その後の南と北の王朝の対立、そして、外敵との戦いを経て、ようやく、ダビデは統一王国を手にしました。そのような時に捧げられた歌と考えられます。ダビデは、これらの出来事を振り返って、すべては主の「恵み」であり、とくに、主の驚くべき「謙遜」(35節参照)が、ダビデに救いと勝利をもたらしてくださったという告白をしています。1節~3節は、主が救いのすべてである、という賛美。4節~6節は、死に直面する危険の中での祈り。7節~19節は、主の驚くべき救い。20節~29節は、主に答えていただくための信仰者の姿勢。30節~45節は、人の思いを超える主の恵み。46節~50節は、主への永遠の賛美。
この詩篇は、「死の綱は私を取り巻き」(4節)という表現から分るように、ダビデを取りまく危険は、死と紙一重のものでした。そのような状況のなかで、「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、・・」と賛美し、主が過去においてイスラエルのために救いの御手を伸ばして下さったことを回顧し、無実の罪で訴えられている自分を救い出してほしいと主に訴えています。そして、主に向かって「あなたの謙遜は、私を大きくされます」(35節)という独特の表現で、ダビデはかつて羊飼いであった自分を導いて、外敵や内乱から救い出して下さり、イスラエルの民を治める王として下さった主こそ、すべてのことがらの原因であり、決して、ダビデ自身の功績や人柄によるものではなかったと告白しているのです。ダビデが出来ることは、その主の素晴らしさ、主の恵みを国々の間でほめたたえることでした(49節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、自分の人生を振り返り、主の御業を思い起こし、主を賛美することです。私たちも、自分の道を振り返り、主の驚くべき「謙遜」と「恵み」を思い返して、主に賛美をお返ししましょう。主こそ、私の人生の救い主、主は、わが力。私は、あなたを慕います。
清宣教師