詩篇4篇では、弦楽器の音に合わせての詩篇でしたが、詩篇5篇では、管楽器のフルートに合わせての賛歌です。1節~3節は、求めが速やかに聴かれるようにとの祈りです。4節~6節は、神は悪者を赦されない。7節~9節は、神の恵みを信じ、悪者からの守りを求める。10節~12節は、悪者の処罰は正しい者の喜びとなる。
1節に、「うめき」と記されています。言葉にならないうめきの祈りです。聖霊様は、私たちのことばにならないうめきをも聞き取り、取り成して下さるお方です。朝明けに、この詩篇の作者は祈りを捧げています。「備えをし」とは、「心を整える」という意味のようです。4節からは、「整えられた祈り」という捧げ物の内容が記されています。この詩篇の作者は、朝ごとに、「整えられた祈り」を主の祭壇への捧げ物として捧げる習慣を持っていたようです。
3節の「主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。」ということばは、私にとって人生の転機をもたらすことばでした。牧師になる前の出来事だった思います。第3礼拝で、詩篇4篇をテーマに、講解メッセージをしました。無事、終わりました。しかし、自宅への帰り道、ふと、心の中に、「あなたはどうなのか?」という問いかけがありました。その頃、私は5時半からの早天礼拝に、あまり出席できていませんでした。朝早く起きるのは苦手だったからです。それで、その問いかけがあって、すぐに、お祈りしました。「神様、もしも、私が何の苦も無く、気持ちよく、朝起きるようにしてくださるのなら、私も早天礼拝に出席します」という祈りでした。そして、次の月曜日の朝、私は、なんの苦も無く、気持ち良く目覚めました。これまでにない体験でした。それが4時半頃の事でした。なんの苦も無く、気持ち良く起きたので、なんの努力も必要ありませんでした。それ以来、牧師に就任して、退任するまでの22年間、なんの努力もなく、気持ち良く目覚め、毎朝の早天祈祷会(礼拝)に参加することが出来たのです。これは私の人生の転機となりました。みことばには、力があります。人には出来ないが、神には出来ないことはない。まさに、その通りでした。
今日の聖書箇所から教えられることですが、「主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。」(12節)。主は、私たちを全身すっぽり隠れることが出来る大盾のような、神の愛で私たちを包んで下さるお方です。きょうも、安心して、主に委ねて、1日を過ごしましょう!
清宣教師