1節~3節は、イスラエルの先祖たちに示された主の恵み。4節~8節は、イスラエルの民の真の王である神。9節~16節は、神の民の苦難。17節~22節は、神の民の忠誠。23節~26節は、救いを求める叫び。
1節~3節:イスラエルの民の歴史を振り返り、主が約束の地カナンで国々の敵を追い払って下さったこと、しかも、それは自分たちの力量によるではなく、明らかに神の恵みによるものでした。4節~8節:イスラエルの真の王は、主ご自身です。主が御名のゆえに、敵を押し返し、イスラエルに勝利をもたらされました。ですから、主の御名をとこしえにほめたたえるのです。9節~16節:ところがいま、私たちは危機的状況の中に置かれています。食用の羊のように、ほふられる羊のように(22節)、いのちが奪われています。また、国々の中に捕虜として、奴隷として散らされています(11節)。しかも、主の聖なる民であるはずなのに、無価値なもののように安値で売られています(12節)。そして、隣国のペリシテやアモンやモアブ、エドム人たちの笑いものになっています(13節、14節)。17節~22節:いま、苦難にあっていることは、神への不信仰からでたことではなく、神への忠誠のゆえに苦しみの中にあるのです。しかし、どんなことがあっても、私たちは神への忠誠を捨てることはありません、決して神との契約を無にすることはありません、との固い決意を告白しています。22節の聖句は、ローマ人への手紙8章36節に引用されています。「『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。」(ローマ人への手紙、8章36節)。23節~26節:その中で、再度、主に救出を求め、主の助けを促す叫びです。最後の「私たちを贖い出してください」という祈りは、通常ありきたりの助けではないことを意味しています。主が買戻して下さる以外に、救いの道がないのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、主に忠実な魂でも、その忠誠のゆえに、信仰のゆえに、迫害を受けることがあります。しかも、それが一時的、短期的なものではなく、反キリストのような為政者による、徹底した弾圧であることもあります。私たちの将来、たとい逆境に遭っても信仰を貫きとおす勇気と愛を与えていただくように、主に祈りましょう。
清宣教師