この詩の背景となったのは、サムエル記第1、19章11節、12節の出来事です。「サウルはダビデの家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝になって彼を殺そうとした。ダビデの妻ミカルはダビデに告げて言った。『今夜、あなたのいのちを救わなければ、あすは、あなたは殺されてしまいます。』こうしてミカルはダビデを窓から降ろしたので、彼は逃げていき、難を逃れた。」
1~5節は、不法な敵の待ち伏せ。6~9節は、うろつく犬の喧騒。10~13節は、敵の敗北を見る。14~17節は、朝と共に訪れる平安。この詩篇59篇の中で、敵は夜中にうろつく『犬』に例えられています。敵は「待ち伏せ」、「襲い掛かる」(3節)という表現で、敵の計画が用意周到になされていることが分ります。野犬の集団が待ち伏せして、獲物に襲いかかろうとしているような状況です。一転して、16,17節では「神は私のとりで」という表現を繰り返しています。また、16,17節では「私の恵みの神」と呼んでいます。一夜が明けて、敵の襲撃から守られたこと、主が砦となり守って下さったという信仰の告白です。夜の不安と嘆きとが、朝明けと共に喜びと平安に変えられたことを覚えて、主を賛美しています。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちも敵の攻撃を受けて、不安な一夜を過ごすことがありますが、主は私たちのとりでとなり、私たちの力となり、私たちを見守ってくださるということです。私たちも14節~17節を音読して、ダビデと共に主を賛美しましょう。平安と喜びが湧いてきます。
清宣教師