この詩篇60篇は、表題から、第2、サムエル記8章、あるいは第1、歴代誌18章に記されている、ダビデと周囲の国々との戦いの時であることが分ります。ダビデは、イスラエルの北にあるシリア軍と戦っていました。一方、南の方からエドムが攻撃してきて、一時、イスラエルが敗北しそうになりました。しかし、将軍ヨアブがエドムを撃退しました。その時のことを記念して歌われたと言われてます。1節、「私たちを拒み」という表現は、戦いの中で敗北の中にあることを意味しています。2節の「地は引き裂かれ」とは、北と南からの攻撃を受けて、イスラエルの国が分裂の危機にあることを意味しています。3節の「よろめかす酒」とは、神の怒りと裁きを表しています。5節の「あなたの愛する者」とは、イスラエルのことを表しています。6節~8節は、ヨシュア記18章10節、また、第2、歴代誌7章8節~11節で主が約束された相続の地、イスラエルの民に割り当てられた嗣業の土地のことを述べています。シェケムは、ヨルダン川の西側、スコテは、ヨルダン川の東側の土地です。先祖ヤコブは、スコテからシェケムの近くに進みました(創世記33章17節、18節参照)。ギルアデはヨルダン川の東側でマナセの半部族が住み着きました。エフライムはヨルダン川の西側に住む代表的な部族で、カナンにおける最強の部族で、かぶとのようにイスラエルを守りました。ユダもまた、エフライム同様、勇敢な部族でした。8節のモアブは異邦の民であり、たらいのように低くされるのです。エドムも、ペリシテも、異邦の民であり、主によって低くされます。9節では、ダビデの仕事の困難さが表現されています。防備の町、エドムに進撃するのに、先頭に立って導かれるのは神ご自身しかいません。10節で、もう一度、主ご自身が、ダビデの軍勢の先頭に立って勝利を与えて下さるように願っています。11節で、敵や困難から救われるのは、主ご自身しかいないのです、と訴えています。同時に、人の救いはむなしいのです、と訴えています。12節で、神と共にあることにより、イスラエルの民は力ある働きをすることが出来る、という信仰の告白を捧げています。
今日の聖書箇所から教えられることは、信仰者も窮地に追い込まれる時がありますが、主が必ず、必要な助けを起こして下さることです。私たちも、私たちの神を旗印として掲げ、つまり、神の御名により頼んで前進する時、輝くことが出来ます。「いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます」(ピリピ人への手紙、2章16節)。
清宣教師