きょうの詩篇69篇は、注解書において、「われらのゲッセマネ」とか、「主の家を思う熱心」などという表題がつけられています。イエス様の苦難を預言する詩篇として知られています。そして、神に対する熱心さのゆえに苦しみを引き起こしたという信仰者の苦しみを表現する歌となっています。この苦しみは神への忠誠のゆえであるから、神に訴え、救いを求めています。そして信仰による苦しみは、決して信仰を捨てるのではなく、神に近づけさせるものであることを示しています。この詩篇69篇は、詩篇22篇とともに、新約聖書に多く引用されている詩篇です。内容を5つの区分に分けると以下の通りです。1節―6節は、信仰の証人としての願い。自分の置かれている状況は、あたかも、溺死寸前の状態で、自分で自分を救うことはできないことを言い表しています。そして、自分を取り巻く状況は渦を作って自分を水底に引きずり込もうとする大水の流れのようです。そして、迫害者は髪の毛よりも多く、理由もなく、迫害し、自分を滅ぼそうとしているのです。しかし、私は彼らから仕返しされるような罪は何も犯していませんが、神の前には自分は罪人であることを認めます(5節)。一方で、神を恐れる私が苦しめられるのを見て、そのせいで、他の信仰者が、信仰を失ったり躓いたりすることがないようにと求めています(6節)。7節―12節は、信仰のゆえの苦しみ。母の子らとは、ここでは血肉の兄弟をさしています(7節、8節)。神を礼拝する熱心が、神をそしる人々によって、自分へのそしりとなっています(9節)。病気の人たちのために断食をしても(10節)、友のために荒布をまとって悲しんでも(11節)、それらはすべて神をそしるものたちからの嘲りとなって自分に降りかかってくるのです(12節)。13節―18節は、救いのための祈り。救いを求めて祈ります(13節)。「穴」とは墓のことです(15節)。敵が神の無力を誇ることがないように、私を救い出してください、と祈ります(18節)。19節―21節は、迫害する者の仕打ち。再び迫害者の無法な仕打ちに対して、神に訴えています(19節)。彼らは同情の食物を与えるどころか、傷口に塩を塗るように、苦みと酢をのませました(21節)。22節―28節は、迫害するものへの報復の祈り。迫害者に対してふさわしい報復を与えて下さいと神に祈っています。29節―36節は、救いと祝福の確信。ここでは、主は必ず、悩む者たちを救って下さるという確信を言い表し、主を賛美し、主の約束を信じるように勧めています。
今日の聖書箇所から教えられることは、この世において、信仰者として生きることは、神を侮る人たちからはゆえもなく、からかわれたり、嘲られたりすることがあるということです。しかし、それらを通して、私たちの神は、私たちを豊かに大きく成長させてくださるのです。主よ。私たちの信仰を増し加えて下さい。
清宣教師