きょうの詩篇70篇は、表題に「記念のために」と記されています。レビ記2章2節、16節をみると、穀物の捧げものは、礼拝者から神への贈り物ですが、祭司の生活を支えるものとなります。その一部が、「記念の部分」として、神への全焼の捧げものとして捧げられました。この詩篇70篇は、公けの礼拝において、記念の部分が捧げられるときに、唱和したものと言われています。なお、詩篇70篇は、詩篇40篇13節―17節とほぼ同じ内容です。詩篇40篇の中から一部を取り出して、礼拝用に編集したものと考えられています。1節では、神に急いで下さいと祈る。第1に、悪者からの救いのため(2節、3節)。第2に、信仰者の救いのため(4節、5節)であると理由が記されています。私たちも、日本の国のために、御国が来ますように、と祈ります。1日も早く、解決が与えられるように、私たちも祈ります。マラナ・タ 主よ。来てください(黙示録22章17節参照)。執り成しの祈りの重要性は、その人自身になりきるというか、その人自身に代わって、主に叫び求めることであると思われます。ひとりひとり、切迫した事柄で苦悩しています。あるいは、その人自身だけでなく、まわりの家族が苦悩しています。耐え難い肉体の痛み、慢性的な頭痛、腹痛、アレルギー、アトピーなど、あるいは、心の病、幻覚、引き籠り、自信喪失、無気力、目標のない空虚、抑制出来ない衝動など、それに、借金、失業、年金生活、経済的な必要による圧迫、学業や仕事による圧迫、そして、人間関係によるストレス、ダメージ、さまざまです。それ以外にも、テロや戦争の危機感があります。「主よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けて下さい。」という叫びは、私たちの真の叫びです。そして、「神よ。私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救う方。主よ。遅れないでください。」と祈る、継続的な祈りの力が必要であることを痛感しています。
そのために、きょうも、主が、私たちに新しい喜びと油注ぎを与えて下さいますように。私たちは祈ります。切に祈ります。急いでください。私たちは、主の解決を求めています。大きな祈りの力を、私たちの教会に与えて下さい。エリヤが7度も地に伏して、祈り続けたように、手のひらの雲(エリヤが祈り求めていた大雨の兆し)を見るまで、祈り続ける忍耐力と堅い意志と揺るがない希望、信仰、愛を与えて下さい。
今日の聖書箇所から教えられることは、クリスチャンの祭司としての役割です。私たちは執り成しの祈りの務めを与えられています。私たちは創造主なる神に祈っているのです。全宇宙、地球、すべての生命を創造された主です。主よ。私たちに、祈り続ける熱心さ、忍耐力、揺るがない意志、そして、愛を、豊かに与えて下さい。
清宣教師