詩篇72篇は、注解書では、「義と公正の王」というタイトルが付けられています。内容的には、地上における神の代行者である王の義と公正さが祝福をもたらすことを歌っています。神は正義の源であり、王は神が任命した神の代行者ですから、神が王をふさわしく整えて下さるようにと祈っています。1~7節は、義と公正の王を求める。8~14節は、王の道徳的な支配の拡大。15~17節は、王と王国のための祈り。18~19節は、結びの祝福の祈り。1節の「公正」とはさばきのこと、「義」とは救いのことです。2節の「あなたの、悩む者」とは腐敗した社会の中で、あるいは、偏った裁判の中で悩んでいる者をさす。3節の「山々、丘々」とは、国全体が正しい支配によって平和に満たされるようにとの願い。4節の「彼が弁護し」とは、王は支配者であり、裁判官ですが、ここでは正しく裁判するという意味です。5節の「彼ら」とは、しいたげる者どもや貧しいものを含めて、全国民のこと。「あなた」は、王ではなく、王を立てた神のこと。6節の「雨のように」とは、雨が地を潤し豊かな収穫を与えるように、正しい王は、国を豊かな繁栄に導くという意味。7節の「月がなくなる」とは世界の終わりのこと。8節以降は、王の支配が全地におよび諸国も王の祝福に与るようにとの祈りとなっています。「海から海」、「川から地の果てまで」憐みと救いによる支配が及ぶように。9節の「荒野の民」とは遊牧民のこで、誇り高くなかなか服従しようとしない民のこと。10節のタルシシュは、スペインの南西にある地名で、港と大きな船で有名。「島々」とは地中海の島々、「シェバ」はアラビヤの富んだ国、「セバ」は、エチオピヤの首都。11節は、神の国の実現の希望であり、預言です。12節は、王の支配が世界的になる理由。13節~14節は、王による人道的な支配。16節は地の産物に表される神の祝福。17節は王の名の永続と伝播の願い。18~19節は、詩篇の第2巻としての末尾の頌栄のことば。20節は註としてつけられています。
今日の聖書箇所から教えられることは、この地上の支配者は、神の代行者であり、正義と憐みとをもって治めなければならないということです。一方で、現実には、権力をほしいままにして民を苦しめる支配者もいます。しかし、やがて最終的な裁きの時が来て、主イエスご自身が王の王として、まことの正義と公正をもって、全地を治めて下さるのです。主よ。来てください。
清宣教師