きょうから、詩篇の第3巻に入りました。詩篇73篇について、ロイド・ジョーンズは、一冊の本に記しました。それほど、内容的に、多くのクリスチャンに関心のある内容となっています。概説すれば、神のみことばに心をとめている信仰者の告白です。心ではいつくしみ深い神を見ているのだけれども、周囲の人々を見る時、足がたわみ、身体全体(信仰全体、生活全体)がすべるばかりだった(2節)。なぜなら、神に反抗して生きている人々が、順調に、快適に生活しており、経済的にも富んでおり、病気にもならず、その死も安らかであるようにみえる。信仰者として心をきよめ、手をきよくして生活しているのに、苦労がいっぱいである。考えれば考えるほど、周囲の人たちに目を止めれば止めるほど、心がすべりおちてしまうように感じる。そして、空しさの中に陥りそうである。1日中、こんな考えに痛めつけられている。しかし、神の聖所に入り、神の御前に出たとき、初めて神の視点からものごとを見ることが出来た。そして、自分が愚かでわきまえのないものであることに気づいた。その原因は、私が誇り高ぶる者を妬み、妬みの心をもって悪者の栄えるのを見たからである(3節)。神の視点からみるなら、彼らは、この世で快適に過ごしているようだが、彼らこそ、永遠の滅びの淵の近くの滑りやすいところに置かれているのである。しかし、一方、神は、その信仰者の右の手をしっかりつかんでおられるので、滅びに陥ることはないのである(23節)。神の前に出たとき、神は、真実の姿を示してくださったのである。
今日の聖書箇所から教えられることは、神はいつも、主に信頼する者たちの右の手を、しっかり、掴まえて、すべることがないようにしてくださっていることです。一方、神に反抗する者たちこそ、滅びの淵のすべりやすいところにいることです。そして、最終的な結論として、「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は神なる主を私の避け所とします。」(28節)という告白に導かれたのです。主に信頼します。
清宣教師