今日の詩篇92篇は、「安息日のための歌」という表題がついています。おそらく、バビロン捕囚後、エルサレムに第2神殿が建てられた時代と思われます。1節―3節では、主への感謝の告白です。朝に夕に祈りを捧げ、十弦や六弦の琴、竪琴をもって賛美する喜びを述べています。4節―6節では、実際に主がなされたわざ、その御手のわざは大きく、その背後にある御計画は非常に深いことを見て、心が躍るのです。しかし、そんなことをまったく意に介さないものがいます。それは間抜けもの、愚か者です。7節―9節では、今は悪者が栄えていますが、やがては必ず滅びる者であり、悪者が栄えるのも、結局は永遠に滅ぼされるために過ぎないということを悟るのです。10節―15節では、神に信頼するものは、主によって高く上げられ、繁栄します。それは、主の庭に植えられた木のように、主の祝福のうちに、繁栄し、多くの実を結びます。しかも、それは年老いてもなお、実を稔らせ、みずみずしく生い茂る木のようです。「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう」(14節)というみことば、聖霊様のみずみずしい、いのちの水により、内側から若返りのいのちによって満たしていただく特権です。高齢者の方には、なんと、大きな励ましでしょう。
今日の聖書箇所から教えられることは、神の民が、安息日ごとに、神の恵みを覚え、喜び歌う特権です。「私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。主よ。あなたのみわざは、なんと大きいことでしょう。」(4節、5節)。クリスチャンは、様々なときに、このことを経験します。家族のこと、健康状態のこと、仕事のこと、経済的なこと・・・、主は私たちのために、導きと守りと解決を与えて下さいます。主に感謝を捧げましょう。
清宣教師