今日は、詩篇93 篇です。短い詩の中に壮大な宇宙の創造主を見ます。1節~2節は、主の王座。3節~5節は創造主なる神。1節の「主は王であられ」という文章は、もともと、「主はすでに王となった」とも、「将来、王となられる」とも訳すことが出来ると言われています。つまり、主は創造の昔から王であり、将来の新天新地における王となられるお方でもあります。主は、永遠の昔から永遠の未来まで、王権を掌握されているお方です。「みいつ」とは、威厳のことです。3節の「川」や4節の「大水」は、それぞれ、複数形です。とても力強い流れが押し迫ってくる表現です。しかし、それらにまさって、創造主は、力強いお方です。「あかし」とは、神の定め、教え、律法を指しています。「まことに確か」ということは、完全に信頼して身を委ねることができることを意味しています。「聖なること」とは、民が神の聖さにふさわしく、整えられることを指しています。
今日の聖書箇所から教えられることは、川々や大水が、とどろきの声、叫び声をあげて襲ってくるような事態、まさに、人生の中で、すべてを呑込み、押しつぶすような事態が襲い掛かり、恐怖に引きずり込まれるような時にあっても、天地万物の主が、すべてを治めておられることを思い起こすことです。主の王権は、とこしえからとこしえまで、滅びることはないからです。いま、無神論やヒューマニズムの大波が、マスコミを通して、とどろきの声をあげています。しかし、彼らは滅び去ります。新天新地が訪れて、主が治められる時が来るのです。「世界は堅く建てられ、揺らぐことはありません」。
清宣教師