今日の詩篇96篇ですが、70人訳聖書では、「捕囚の後に主の家が建てられた時」という表題がついています。そうすると、作者は、バビロン捕囚後、解放されて、エルサレムに神殿が再建されたという事実を踏まえて、賛美していることになります。バビロンからの解放という驚くべき神のみわざ、神の約束の成就という事実を通して、作者は、メシヤ預言が成就し、世界的な王国が建設されるという期待のなかで、諸国に対して、素晴らしい主を礼拝するように招いています。今日の詩篇96篇は、分り易い詩篇です。主は全世界をお造りになられたお方ですから、その救いの御名、その栄光、その救いのみわざは、全世界に語り伝えられるべき事柄です。主こそ、すべての神々にまさって賛美されるべきお方です。なぜなら、もろもろの国々の神々は、人の考えや人の手によって造られたものです。しかし、主は、全宇宙、天も地も海も、また、その中に生きるすべての生き物をお造りになられた創造主なる神です。このお方こそ、全世界の民が賛美し、礼拝を捧げるべきお方です。そのお方が、すべてのことを裁かれる時が近づいています。それは、被造物にとっての救いの日です。すべての創造の秩序が回復され、すべての被造物が平和と祝福に与る時です。ですから、その日を覚えて、天も地も、野も森も、すべてが喜び、躍り、歌うように勧めています。確かに、主は義をもってさばかれるために来られます。そのとき、全世界は正義と平和の中に回復されるのです。今日の詩篇96篇も、95篇同様、作者の躍り上がるような感動と賛美が伝わってきます。創造主のことを瞑想する時、偉大なみわざに驚嘆し、賛美の中へと自然に導かれるものです。創造論宣教は、感動と喜び、平和と解放をもたらす働きです。
今日の聖書箇所から教えられることは、創造主のみわざを見ることの大切さです。たとい聖書が読めなくても、祈れなくても、ただ、大空を見上げること、雲を見上げること、大きな街路樹を見上げること、あるいは、道端の名もない、小さな花など、創造主の作品に目を留めることをお勧めします。それらのものを無限の叡智を込めてデザインされた創造主がおられるのです。ただ、その作品を楽しむとき、あなたは癒されます。
清宣教師