さて、ゼカリヤ書10章ですが、1節は、「後の雨の時に、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。」と語られています。先の雨とは種まきのための雨でした。後の雨とは穂が実るための雨でした。霊的な意味では、先の雨は、魂の救いの種まきのために与えられた聖霊の雨です。それは使徒時代、ペンテコステの日に成就しました。そして、後の雨は、終わりの日に、魂の大いなる収穫のために与えられる聖霊の雨です。
ところで、「ネイティヴ・アメリカン」とは、アメリカのインディアンを意味するそうですが、「彼らは、ものごとを判断する時、7代先の子孫のために、それが益になるか害になるかを基準に、判断する」ということでした。今の日本の私たちの判断は、どうでしょうか? 自分たちのことだけ、あるいは、目先のことだけを考えているのではないでしょうか。まさに、原発を選択したことは、真逆の選択でした。原発は放射性廃棄物という危険極まりないものを子々孫々に残すことになりました。
いま、日本のクリスチャンたちがなすべきことは、主の計画にあずかることです。いま、主は、私たちの時代に聖霊の雨を与えられると約束されています。主は、人類の歴史をすべてご存じであり、救いの計画をもっておられます。主は私たちに「後の雨、聖霊の雨を求めなさい」、と命じておられます。家族や親戚、知人や友人たち、地域の人たちが、救いに預かるように、後の日に約束されている、聖霊の雨を求めて、ともに祈りましょう。
清宣教師