「ゼパニヤ」とは、ヘブル語で「隠す」「保護する」を意味します。他の預言書とは異なり、ゼパニヤ書では、最初に、ゼパニヤの系図が記されています。ゼパニヤは、ヒゼキヤ王の4代目の子孫です。預言者ゼパニヤは、ヨシア王の初期の時代に活躍しました。ゼパニヤは、ヨシア王による宗教改革に貢献したのかも知れません。ゼパニヤ書は、3つの内容から構成されています。第1に、1章1節から2章3節まで:エルサレムに対する審判です。第2に、2章4節~3章8節:諸外国に対する審判です。第3に、3章9節~20節:終末の救いの約束です。今日の1章は、南ユダ王国、その首都であるエルサレムに対する審判です。祭司たちも、指導者たちも、主の祝福により繁栄すると、自分たちの勝手な生き方をするようになり、バアル礼拝(カナン人の偶像)、天の万象、ミルコム(アモン人の偶像)礼拝などを取り入れるようになり、主への礼拝は形式的なものとなり、完全に堕落してしまいました。首長たちも、王子たちなどの指導者たちも、みな裁きを受けます。マクテシュ区(商業の盛んな地区)の商人たちは、外国との交易が盛んになり、金儲けをして栄えるようになりました。しかし、それは、主なる神を抜きにした繁栄でした。しかも、彼らは、「主は良いことも、悪いこともしない」と言って、主は裁きを行われないと豪語していました。ですから、主は彼らをみな滅ぼすと宣言されました。最後の18節で、彼らが頼りにしていた金も銀もなんの役にも立たないことを明らかにされるのです。終わりの裁きの日には、金銀、預貯金、不動産もみな、何の役にも立ちません。主を求め、主をあがめる人生こそ、主の裁きの前に価値ある人生です。
清宣教師