さて、1節、「見張所に立つ」とは、敵が攻めてくるとき、地平線までも見通すことが出来る見張所のことで、注意深く見張りをします。いち早く、正しい情報を得ることが、自分たちの町、あるいは、自分たちの国の存亡にかかわる大事な役目です。預言者としての使命は、見張所に立つ者のように、主なる神からのお答えを待つものです。求めに対して、主は必ず、答えをくださるという確信に立ち、神様からのみことばを待つ使命です。2節、幻は、個人に与えられる、ある意味、ボヤッとしているものですが、それをハッキリと誰でも読めるように書き記すことが預言者の役割です。定めの時とは終わりの時です。4節、2種類の人がいます。まず、心高ぶり、神の言葉を無視して生きる人たちです。次に、神のみことばに信頼して生きる人たちです。目に見える事柄によって判断するのではなく、神のみことばに従って生きる人たちです。そして、神のみことばに信頼して生きる人たちが、永遠に生きるのです。5節。彼とはバビロンのことです。すべてを自分のものとして征服していくバビロンに対して、6節、皮肉と風刺のことばを語ります。6節―19節には、5回にわたり、「わざわいだ」ということばが述べられています(前の訳では、「ああ」という言葉に訳されています)。第1の災いは6節―8節です。他人のものを略奪したので、多くの国がバビロンを略奪することになるのです。第2の災いは9節―11節です。家とは国家のことです。バビロンは、多くの諸国を滅ぼし、そのお金で国家を建てあげたので、城壁の石垣や家の梁(犠牲になったものたちの血)が裁きを求めて叫んでいます。第3の災いは、12節―14節です。流血で町を建て、不正で都を築き上げたバビロンに対して、神は裁きをなさいます。バビロンは何一つ残るところなく消えうせ、そして、地は、メシヤの王国となり、主の栄光で満たされるのです。第4の災いは、15節―17節です。バビロンは、隣人を酔わせ、情欲をほしいままにするが、今度はバビロンが恥を受けるようになるというのです。第5の災いは、18節―20節です。木や石に向かって礼拝する偶像礼拝をしているバビロンに対して、天におられる生ける神が、全地を裁かれるのです。物言わぬバビロンの偶像の神々に対して、生ける神は、御言葉の通りに行動に移されるのです。全地は、主の御前で、裁きを待ちつつ、静まらなければならないのです。以上です。きょうの聖書の個所には、有名なみことばが、いくつも登場しています。1節、4節、14節、20節などです。主のみことばを、じっくり、味わってほしいと思います。預言者の役割が、静まって、主がなんと語られるかを待ち望むことであるように、私たちも、主のみことばを待ち望み、私たちの思いの中に与えられた主の答えを、じっくり、反芻し、ノートに書き記してみましょう。そして、ノートに記した神様からのお答えを互いに分かちあえたら感謝です。
清宣教師