詩篇100篇は、賛美の詩篇です。「真の賛美歌」と名づけた人もいます。内容的には、「賛美の呼びかけ」と「その理由」というパターンが、二度、繰り返されています。1節~2節は、礼拝への招きです。「喜びの声」とは、直訳では「大声で叫べ」という意味です。「喜びの声をもって」とは、創造主であり、救い主である神を礼拝するキリスト教の特徴は、喜びです。「造られた喜び」と「救われた喜び」に満ちあふれた礼拝です。礼拝も奉仕も、感謝と喜びをもって捧げられるときに、主の栄光が表されます。3節は、私たちは、主にあって造られた者であり、主の所有物である。4節は、それ故に、感謝しつつ、賛美しつつ、主の前に近づくのです。5節は、すべての感謝と賛美の源は、主の慈しみ、主の恵みの豊かさにある。まさに、表題にあるように、「感謝の賛歌」です。3千年の時を超えて、創造主を礼拝する民として、深い共感をもって賛美するものです。
今日の聖書箇所から教えられることは、1節の「大声で叫べ」ですが、英語の聖書では、make a joyful noise (メイク ア ジョイフル ノイズ)となっています。最後のノイズとは、ふつう、雑音のことです。つまり、机を叩いたり、ドラムを叩いたり、物音をたてて、主への感謝を表すことです。ここでは、静寂ではなく、グレゴリー聖歌のような和音でもなく、うるさい大声や物音で賛美することが勧められています。もちろん、聖書の他の個所では、静寂やグレゴリー聖歌のようなハーモニーをも重視しています。つまり、賛美のあり方に関しては、柔軟性が求められています。土台は、自発的にほとばしる喜びです。きょう、自分のやり方で、主への感謝と喜びを表現しましょう。
清宣教師