この詩篇は、内容的には、死の不安や絶望的な苦難から救い出された個人の感謝の歌です。この人は、重い病気にかかっており、その苦しみの中から主に叫び求めています。1節~4節では、主は必ず、祈りを聞いて下さるお方であることのゆえに、感謝を捧げています。私たちが愛する主なる神様は、決して、無関心ではなく、個人的な苦悩にも耳を傾けて聴いて下さるお方です。ですから、迷いなく、主の御名を呼び求めて、叫びます。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」。5節~7節では、主がどれほど情け深いお方であるかを、憐み深いお方であるかを、改めて、感謝します。だから、私の魂に言い聞かせます。大丈夫だ。私の魂よ、まったき憩いのうちに戻れ。よみの恐怖も、苦しみも悲しみも怖くない。主にあって、まったき平安の中に憩おう。主は、いつも、私に良きものだけを与えて下さったではないか。8節、主は、私の魂を死の恐れから救い出してくださいました。主は私を癒してくださいます。9節~15節では、私は主を信じて歩みます。私は主を信じて生きると誓いました。主はご自分の聖徒のいのちを死から守られます。主は決して聖徒たちが無駄に死ぬことを許されません。16節~17節では、主よ、感謝します。いま、私は死の恐れから、病から、解放されました。あなたに感謝します。18節~19節では、私は公けの神殿の礼拝の場で、証しをします。そして、主の御名を賛美します。
今日の聖書箇所を読んで感じることですが、病気とか、失敗とか、仲間外れとか、なんらかの事情で、孤独に追い込まれる時があります。そして、孤独になると、自分がいかにいろいろなものに頼っていたかということに気づきます。しかし、その不安に耐えられず、いろいろなものに、戻ろうとします。しかし、それらのもろもろのものとは、真に頼りになるものではなく、むしろ、私たちを、偽りのかせの中に閉じ込めるものです。ですから、孤独に追い込まれた時こそ、それを捨てる機会です。「あなたは私のかせを解かれました。」(16節)。
清宣教師