詩篇120篇~136篇まで、一般に「大ハレル」と呼ばれています。とくに、120篇~134篇には「都上りの歌」という表題がついています。イスラエルの民は、年に三度、過ぎ越しの祭(春)、七週の祭(夏)、仮庵の祭(秋)の時に、エルサレムの神殿に詣でる習慣がありました。その巡礼の旅立ちに始まり、巡礼の途上での困難、そして、神殿に到着したときの喜びなどが記されています。この詩篇120篇では、1節~2節で、エルサレムから遠く離れた寄留地での叫びです。3節~4節は、苦しみを与える敵への報復を求めての祈りです。5節の「メシェク」は黒海に近い地域(小アジア)に住んでいた民。「ケダル」とはイシュマエルの子孫でアラビア人。「天幕で暮らす」とは、生活を共にすることです。「メシェク」とか「ケダル」という二つの地名は、イスラエルの民が寄留していたすべての寄留地の代表としてあげられています。彼らは外国の地で、苦しみの中にありました。しかも、その寄留地の人たちは、争いを好む者たちでした。イスラエルの民は、心から親しみを込めて、「シャローム(平安があるように)」と語りかけても、彼らはケンカを仕掛けてくるのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、この地上においては、クリスチャンも寄留者であり、旅人であるということです(へブル人への手紙、11章13節参照)。この地では争い、憎しみがあります。しかし、その中に平和の子として生きる使命が与えられています。
清宣教師