前にも述べましたが、詩篇の120篇~134篇の15の詩篇には「都上りの歌」という表題がついています。昨日の122篇は、巡礼の旅を終えて、いよいよ、神殿の門のうちに立って、喜びを歌い、このエルサレムが平和であるように切に願い、そのために祈るように呼びかけるという内容でした。今日の123篇は、「あざけり」や「さげすみ」の中にいる状況を歌っています。例えば、ネヘミヤが城壁を再建しようとしたときのサヌバラテやトビヤのことを思い出します。神に目を向けて祈り続けるようにとの呼びかけです。2節に、「女奴隷」ということばが出てきます。この詩篇は今から2千数百年前に書かれていることを考えると、その当時の状況が分ります。女奴隷はつねに、女主人の手に向けられていました。その手の動きによって、瞬時に、女主人の指示を読み取り、行動に移さなければならない状況に置かれていました。そのように、私たちも主に心を向けて、主の指示を待っています、という信仰者の告白です。この信仰者は、個人としてだけでなく、共同体の一員として、イスラエルの民の代表者としても祈っています。
ところで、奴隷制度が廃止されたのは、人類の歴史からみれば、ほんの最近のことです。しかも、まだ、アフリカの国々やインドなどでも、多くの奴隷の人たちがいます。実質的に、奴隷が存続している国々は以下の通りです。インド、中国、パキスタン、ナイジェリア、エチオピア、ロシア、タイ、コンゴ民主共和国、ミャンマー、バングラデシュなど。インドでは1330~1400万人の奴隷が存在し、人数では世界最多だといいます。国内に占める「現代の奴隷」の割合がもっとも高いのは西アフリカのモーリタニアで、総人口370万人のうち約20%が奴隷状態にあるようです。奴隷制度の廃止は、政治的な課題ではなく、私たち人間の共通の祈りの課題のひとつです。導かれた方は、日々の祈りに、奴隷制度の廃止も加えて下さることをお勧めします。
今日の聖書箇所から教えられることは、あさけりやさげすみといった環境の中でも、主にしっかりと目を向けて、主のみこころを知ることです。「私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれるまで」。
清宣教師