きょうは、詩篇124篇です。都上りの歌のシリーズの5番目です。イスラエルの巡礼団が、エルサレムの神殿に到着しました。祭司たちが、巡礼団に、大声で、質問します。「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」(1節)。そこで、巡礼団は、みんなで大きな声で応えます。「もしも主が私たちの味方でなかったなら、様々な苦難の大波に飲み込まれてしまっていたであろう。」(2節~5節のカギかっこの中)。過去に体験したイスラエルの民の危機的な状況からの解放を思い起こさせ、主への信頼と感謝を深めるように勧めています。6節―8節では、救いは神の御手によることを強調し、主への力強い信仰の告白をしています。最後の7節、8節では、鳥たちが狩人たちの罠にかけられて捕えられた時、無力な鳥たちが自力で罠から脱出することは不可能です。鳥たちの力を越えた、大きな力をもったものが、罠を壊し、籠を壊してのみ、鳥たちが解放される望みがあります。同様に、イスラエルの民たちが解放されたのは、人間の手によるものではなく、天地を創造された主の力強い御手によってのみ成就したことを、再度、強調しています。まさに、アメージング・グイレスの歌詞を思い出します。「危険をも、罠をも、避け得たるは、恵みのみわざと言う他なし」。創造主なる神様を知り、そのみわざを知ることは、とても大きな恵みです。創造主は、いのちの息吹をもって、私たちにいのちを与え、人格を与えて下さいました。それは災いではなく、祝福の計画でした。私たちは、生まれる前から、創造主の祝福の計画の中に置かれていたのです。そして、これからの人生も、創造主なる神の祝福の計画の中にあるのです。なんと、幸いなことでしょう。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちも天の御国を目指す旅人として、大きな声で、2節~8節のことばを告白することです。きょう、天地を創造された主が、ひとりひとりを守って下さいます。
清宣教師