きょうの詩篇は129 篇です。ユダヤのことを分らないと、理解できない表現もあります。例えば、「伸びないうちに枯れる屋根の草」(6節)という表現が出てきます。日本の伝統的な茅葺き(かやぶき)の屋根の場合は、美しい花が咲いていたり、枯れないですが、ユダヤの当時の家は石造りで、屋根は屋上になっていて、草花が生えてきても、伸びないうちに引き抜かれ捨てられます。また、8節の祝福のことばですが、当時のユダヤでは、刈取りの季節になると、畑の中の道行く人が、刈る者たちに「主の祝福があるように」と声をかけ、刈る者たちも、また、「主の名によってあなたがたを祝福します」と声をかける習慣がありました。ルツ記の2章4節に、その光景が描写されています。さて、今日の詩篇は、いろいろ、比喩が使われています。例えば、「耕す者は私の背に鋤(すき)をあて、長い畔(あぜ)を作った」という表現ですが、私の背は、ムチ打ちによって、背中の上から下まで、肉が裂かれ、その傷は、盛り上がり、あとあとまで、畑の畔のように残っている、というのです。
さて、全体のことを簡単にまとめますと、前半(1節~4節)は悩ます者への裁き、後半(5節~8節)は神に敵する者への裁き、となっています。イスラエルの民は、若いとき(出エジプト)から、諸外国の敵によって苦しめられてきた。しかし、完全には敗北しなかった。やがて、神の民を憎む者は必ず、滅び、神の民の解放の時が来る。そう信じて、主の救いを待望しています。
今日の聖書箇所から教えられることですが、私たちも、たびたび、敗北するあまり、「気力も喪失しそうだ」ということがあるかも知れません。しかし、主は、決して、私たちを捨てられません。主は私たちをあきらめる事が出来ません。主は、いつも、ともにおられます。主は、きょう、あなたを立たせられます。七転び八起き。失敗は成功のもと。すべてのことは益となる。主は御顔を、あなたにむけ、微笑んでいます。主はあなたが転んだままにはしておきません。主は右の手をとって立たせてくださいます。イザヤ41章13節。
清宣教師